当ブログでは折に触れて「境界線」について記事を書いています。日本が特に「境界線がない」文化で、それが様々な生きづらさの主要原因となっているにも関わらず、その自覚がまったくない人がほとんどだからです。
そのせいで、日本の人たちは「何を言うべきで、何を言うべきでないか」がまったくあべこべになってしまっているなぁ、と、普段から感じることが多いです。
「それはちゃんと言わなきゃダメでしょ」ということは言わずに我慢して後で他へぶちまけていたり、「それは言っちゃダメだよ」ということを平気で口にして相手の境界線を侵害したりしている。
ですがそのことに気づける人がほとんどおらず、「誰かから指摘されるまで気づかない」ことが多いです。
上下意識を強く持つ日本人

日本特有の意識の一つに、「人間関係において上下関係を作りやすい」というものがあります。
相手と自分が「水平で対等な立場」という意識が希薄で、常に「どちらかが上」で「どちらかが下」という人間関係が多いわけです。「先輩・後輩」なんて言葉はまさにそれを象徴しています。
私が暮らして来たアメリカやオランダや香港には、先輩後輩という概念は存在していません。
例えば、日本では、雇用主と従業員だったら、雇われている側はごく自然と無意識のうちに雇用主を自分の上の置いています。会社の方が自分よりも上である、自分よりも偉いと考え、自分を下に置いて、無意識のうちに「その役割」で振舞っている人がほとんどじゃないかなと思います。
最近日本人の友人の一人から、「こんな会社いつでも辞めてやるって思っとけばいいってこと?」と聞かれましたが、そういう「反抗的っぽい態度」そのものが、自分を会社よりも「下に置いている」サインなんです。
対等で水平な関係では、相手も自分もお互いに「相性を見極め」ていますから、どちらかが「利害関係が一致しない」と感じた時点で、関係が解消されることはあり得るわけです。
どちらが一方的に相手を評価してノーを突き付けたり、それに対して「反逆」したりという構図は、上下関係においてしか存在しない現象です。
別の例を出せば、日本には「お客様の方が店より上」という意識もあります。「お金を払っている方が偉い」という認識があるんです。
日本の人たちは、「え、それって普通じゃないの?」と思うかもしれませんが、日本以外の場所ではそれは決して普通ではありません。
日本以外の場所では、店員さんもレジの人も、日本みたいに「丁寧すぎる」対応などは一切せず、もっとフランクに自然体で、客と「対等な立場」として接客をしています。客側が失礼・無礼な振る舞いをすれば躊躇なく「迷惑だなぁ」と言って自分を表現しますし、日本のように「慇懃無礼」といった形で密(ひそか)に客に攻撃を加えることもありません。
いってみれば日本人よりも「大人」な人たちなんです。
承認欲求が強い日本人

「相手に気に入られたい」「評価されたい」「認めてもらいたい」という承認欲求があったり、「続けることが美徳」みたいな価値観があったり、かつ相手を意識上で自分の上においてしまったりしていると、自分が無理をしたり我慢したりするのが「当たり前」になってしまいます。
そうすると、相手との間に健全な境界線が引けなくなります。
それはとても不健全なことだと気づく必要があります。それがどれほど自分の心身の健やかさにとって害悪であるのか、もっと多くの人に認識してもらいたいと私は思っています。
疲れたときには「休みます」と言い、できないことは「それはできかねます」と言い、境界線を侵害されたら「一線を尊重して下さるとありがたいです」とちゃんと言えることが、健全な人間関係の在り方です。
相手との間に健全な境界線を引いて、自分の心身の健やかさを保つためには、何はともあれ「上下意識」を完全に手放すこと。相手と自分は常に「水平で対等な立場」である意識を常にしっかりと持って、たとえ相手が上司であろうと客であろうと、自分の境界線を侵害させないように真っすぐな姿勢で対峙することが大切です。
それができるようになるために、インナーチャイルドをしっかり癒し、自己肯定感を高め、健全な自尊心と自己価値感を育むことが急務です。
自分を大切に扱うことを知っていて、自分の価値を証明するために上司や会社を満足させる必要はないんだと腹の底から知ることができれば、承認欲求の奴隷になって自分に無理をさせることはなくなります。
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