「共依存」という言葉は近年日本に浸透してきた感があります。
「共依存」という字面(じづら)からのイメージで、「共に依存し合う」という意味であると解釈している人が多いかもしれませんが、そういう意味ではありません。
もともとはアメリカでアルコール依存症の親を持つ子供や、アルコール依存症患者の妻が陥る状態と症状を指す言葉(Co-Dependency)です。
アルコール依存とは比較的重度の心理的疾患ですが、問題を抱えた人の世話をすることで自己価値を確認しようとしたり、自分を犠牲にして相手に合わせることで居場所を確保したりする人たちのことを co-dependent(共依存)と呼ぶようになったのです。
自分の嫌いな食べ物や飲み物を勧められても「結構です(要りません)」と言えない、頼まれごとをすると断れないなど「境界線」に関する数々の症状を呈します。
「共依存者」は「ナルシシスト」とカップリングして「対(つい)」になります。
共依存者とナルシシストは磁石のS極とN極の関係で互いに強く惹かれ合う、一つのコインの表の裏(表裏一体)の関係です。つまり、同じ痛みを持つ者同士が「対極の出方」をしている関係性です。
「共依存」は女性性の傷、「ナルシシズム」は男性性の傷です。
男性であっても女性であっても等しく共依存を発症する可能性があります。女性のナルシシストも存在していますが、今までの統計上、ナルシシズムを発症するのは男性の方が圧倒的に多く、共依存を発症するのは女性の方が多いという事実があります。
健全な人は、ナルシシストや共依存者に出会うと強烈な違和感を覚え、相手から離れることで自分を守ります。相手は何かしら問題を抱えた人であると、直感的に判断できるからです。
この記事では話を分かりやすくするために、ナルシシストを男性、共依存者を女性と限定して書き進めていきます。
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ナルシシズムとは

ナルシシズムとは、利己的で自分(の利益)のことしか考えていない様を指す言葉で、ナルシシストは横暴で尊大な人格を指す言葉です。モラハラやDV、各種ハラスメントはナルシシズムの範疇に入ります。
ナルシシズムと似ている精神疾患の一つにサイコパスがありますが、それはまた別の括りになりますので、ここでの説明は割愛します。
ナルシシズムは男性性の負(マイナス)の側面が強く出ている男性性の傷ということができます。
利己主義、暴力、支配・コントロール、差別。
こうした要素が人間関係に色濃く出ている、あるいは「特定の人間関係」において色濃く出ている場合はナルシシズムが疑われます。
例えば、支配的で横暴な父親像というものがあります。健全な(聖なる)男性性である「男らしさ」や「力強さ」の発露ではなく、負(マイナス)の男性性である「横暴さ」「支配・コントロール」「利己性」「暴力」が強く出て妻や子供を自分の支配下においている父親たちのことです。
「親のいうことは聞くものだ」「俺に逆らうつもりか」「黙って俺のいう事を聞け」などの発言も、ナルシシズムから発せられるものです。
相手をひとつの人格として尊重せず、女子供だからと言って自分の支配下に置いても構わないと考えること自体が、ナルシシズムなわけです。
健全な人間関係においては、相手(自分のパートナーや子供)が自分と違う価値観や意見を持つことは完全に許されているばかりか、尊重されています。誰であっても常に自分らしく振る舞い言動できることが健全な人間関係の条件なわけです。
ところが、機能不全な関係ばかりが多い現代においては、「子供は親のいうことを聞くべき」であるとか、「親に口答えをしてはいけない」とか、「親に逆らってはいけない」など、機能不全に根差した歪んだ子育てが広くはびこっています。
ナルシシストの親らは自分の親から引き継いでしまった負の男性性を家庭内で発揮して「王者」として君臨し、パートナーや子供らは「この人には逆らえない」というまったく不健全な共依存を発症します。何しろこの人の機嫌を損ねたら自分の居場所を失うのですから、生存をかけた処世術として「逆らわない」ことで生き残りを図るわけです。
このような環境で育った子供は、もともと男性性が強いタイプの人であればナルシシストに、女性性が強いタイプの人であれば共依存者になります。
共依存を発症する女性の中には、「隠れナルシシスト」というような気質の人もいて、自分の子供やパートナーに対してナルシシストとして振舞い、自分の思い通りにならない相手を虐待したりディスったりする人も存在しています。
「そんなわがままを言ってお母さんを困らせないで」「どうして〇〇ちゃんはそうなの?ママ悲しい」など、「あなたのせいで自分が困っている、惨めだ」というアピールをして相手(自分の子供)を自分の思い通りに動かそうとするのも、共依存者が陥るナルシシズムの一つです。
人間であれば誰しも多少のナルシシズムを持ち合わせているもので、自分の中にあるナルシシズムに対して全く無自覚な(統合できていない)人と、意識的な取り組みを通してある程度ナルシシズムを克服できている(統合できている)人がいるという差があるだけです。
ナルシシズムのレメディ(治癒法)

ナルシシズムを治癒する方法は、残念ながら、今のところまだ体系的に発見されてはいません。
私個人としては、負の男性性の対極にある健全な(聖なる)女性性を内面に育む事が唯一のレメディではなかろうかと考えています。
なぜならナルシシズムとは、ありのままの自分を否定された痛みから生じたエゴの症状だからです。
健全な(聖なる)女性性とは、思いやり、優しさ、無条件の愛、相手へ対する理解などです。自分の人間的な欠点や至らなさを責めたり批判したりすることなく、すべて包み込んで受け入れる母の愛を自分の内面に育むことでしか自分の男性性の傷は癒されない。
が、それは並大抵のことではないと私は考えています。それをできる人は極めて少ないというのが、私が得ている感触です。
共依存とは

共依存とは、過酷な(生命の安全を脅かされるような)環境の中で生存を図るために、自らの主体性や意志を放棄して相手に迎合することで生き残りを図った結果発症する、自己犠牲・被害者意識を伴った「自己不在」の症状全般を指す言葉です。
共依存は女性性の負(マイナス)の側面が強く出ている女性性の傷ということができます。
自己不在、自己犠牲、迎合、意思の無さ、被害者意識、操作・コントロール、依存。
こうした要素が人間関係に色濃く出ている、あるいは「特定の人間関係」において色濃く出ている場合は共依存が疑われます。
自分がどうしたいのかわからない、あるいは特定の人間関係においてだけ常に相手に迎合していて自分らしく振舞えない人がいます。健全な(聖なる)女性性である「女らしさ」や「優しさ」の発露ではなく、負(マイナス)の女性性である「優柔不断」「自己不在」「自己犠牲」が強く出て、常に相手の顔色を伺っていたり、相手の機嫌を損ねたら生きていけないと思い込んでいたりする状態です。
支配的な親に対して自分の意見や意志を言うことができない、親のお願いや命令を断れない、誰かから誘われたらノーと言えずダブルブッキングばかりしてしまう八方美人も、共依存の症状です。
家庭によっては「家族愛」を振りかざして子供たちを支配・コントロールしているケースも多く見られます。
もしもあなたのパートナーが(男であれ女であれ)自分たちの関係よりも親や自分の家族を優先している人であれば、それは不健全な機能不全家庭である見逃してはならないサインです。
家族仲が良いことは悪いことではありませんが、健全な家庭においては、子供は自我の発露である反抗期を経て、いずれ親から精神的に自立していくものです。親と自分は別の人間であるという認識と意識をハッキリと確立し、親とは別の人生を歩む準備と覚悟を整えるのが、健全な人の在り様なのです。
その上で、自分のできる範囲において、お互いに協力し合ったり支え合ったりする。
しかし「家族愛」を隠れ蓑とした機能不全家庭においては、家族の面倒を見たり世話をしたりすることは、「意志による選択」ではなく「義務」です。もしも家族のお願いを断るようなことがあれば、批判・非難され責められます。
このような状態は「愛」ではあり得ず、自立しきれない人間が寄り集まった癒着・依存のし合いでしかありません。
自らが心理的・精神的に自立できていない親は、子供を自分に依存させることで心の平安を得て、子供は親の愛欲しさに自分を犠牲にして親に合わせることで、居場所を確保し続け(共依存)ます。
共依存のレメディ(治癒法)

共依存の治癒法は、何と言ってもインナーチャイルドの癒しを経て、健全な自尊心と自己価値感を自分の中に育んでいくことです。
本来であれば、母親から無条件に愛されることで、人は「自分はただ存在しているだけで価値のある存在」であると感じることができるようになります。しかし、残念なことに、私を含むこの世の8割方の人たちはそのような経験がないままに大人になりました。
なので、自分で自分の親になることで、自分のインナーチャイルドを育て直し、そのプロセスを経ることで健全な自尊心と自己価値感を回復させる必要があるのです。
そしてそれは、十分に可能なことなんです。
その過程の中で、親から見捨てられたら生きていけないという「見捨てられ不安」もしっかりと癒さなくてはなりません。
自分の中に「揺るぎない芯」を確立することで自分自身にしがみ付くことを覚え、「自分はもう親なしでも生きていける」のだと、親を乗り越えて自立するプロセスを経るのです。
その上で、自分の中に健全な(聖なる)男性性を育んでいくこと。
自分の頭で考え、判断を下し、自ら選択し、決断する力を養うこと。その結果は自分で負うと決めること。自分と自分の愛するものを守ること。親と自分は別の存在であると境界線を引くこと。
- 寛容さ
- 博愛と平等
- 力強さ
- 決断力・取捨選択力
こうした要素を自分の中に育むことを通して自立を果たし、一人で立てる人になることです。
依存する相手がいなくても生きていけるという自信がついたとき、共依存は克服されます。
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