日本を含むアジアには儒教が浸透している影響があって、世界の他の地域に比べると、家族関係が密接になりやすいという特徴があります。
海外生活を終えて20数年ぶりに日本に帰って来てから、「家族は自分のルーツ」とか「血は水よりも濃い」といった表現を時折耳にしてきましたが、私には、日本には「家族」という呪縛に囚われて苦しんでいる人が多いと感じられてきました。
家族と意識上でしっかり境界線さえ引ければそんなに苦しむことはないのに、と常日ごろ感じることが多いです。
意識上でしっかり境界線を引くとは、「自分と相手(親兄弟)はまったく別の人格と人生を持った別の存在である」と、明確な区切りを設けることです。それはつまり、家族から精神的に自立することを意味します。
「家族仲が良い=正しくて良いこと」ではない
私は人を見るときに、その人が親や家族とどんな関係性を築いているかに注目します。それは必ずしも「家族仲が良いか」ということではありません。
「家族仲が良い=正しくて良いこと」という思い込みはそろそろ本気で手放した方がいいです。
もちろん、家族の仲が良いにこしたことはありませんが、それは親も子も健全な人間として健全な人間関係が築けている場合に限ってのことです。
これだけ機能不全な毒親が多い世の中で、毒親とうまくやれたり、仲良くできる子供というのは健全ではあり得ません。
「怖れ」に根差した能不全関係

日本には親や家族と機能不全な共依存関係に陥っている人が相当多くいます。もちろん本人たちにそういう自覚はありませんが。
「家族仲が良い=正しくて良いこと」という思い込みがあるから、表面的にはそのように繕うしかなく、自分の本音を抑圧していつしか忘れてしまっただけにすぎません。
家族との距離感が近すぎたり、家族仲を良好に保つために本音が言えなかったり、自然体で振舞えなかったりというのなら、かなり問題があるということです。
相手の機嫌を損ねることを怖れていたり、嫌われたり拒絶されたりするのではないかと怖れるあまり本当のことは言えない、無理してでも迎合しなくてはならないと感じているのなら、それは「怖れ」に根差した機能不全関係です。
健全な人間関係の根底にあるのは「愛」
健全な家族関係においては、親も子も、自分の本音と自然体で接し合っています。そのせいで時としては衝突したり喧嘩したりすることもありますが、その根底にあるのは「愛」です。素の自分を出しても拒絶されたり見捨てられることはないという安心感がある。だからこそ本音を言い合える。
それが健全な人間関係というものです。
疎遠になったり断絶したりするのもアリ

家族仲が悪いとか家族間で疎遠になっているケースでは、どちらかが「この相手とはつきあえない、やっていけない」と判断しているということです。どちらか、あるいは両方の機能不全が強く、付き合っているとお互いに傷つけあわずには済まないケースでは、あえて離れた方がお互いのためということがままあります。
表面的な仲を取り繕うために本音を押さえて迎合し合っていたり、支配・コントロールがまかり通っている家庭よりも、まだしも健全だと言えます。
私の経験上、親に比べて子供方が魂の発達段階が高く、いつしか親よりも達観してしまうケースが沢山あります。そのようなケースでは、子供は親を理解できても親は子供を理解することができず、批判や責めを向けられ続ける子供側から疎遠になるしかない状況が多くみられます。
それは今の時代ある意味「自然なこと」で、たとえ肉体的な親子と言えども分かり合えないという事実をありのままに受け入れて、自立的に生きることが唯一の解決策となります。
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