いくつになっても「親に逆らえない」という人がたまにいらっしゃいます。
「親に逆らったことがない」とか、「親の言う事は素直に聞くもの」ということを言う人たちです。
私は「逆らう」「わがまま」「背く」という言葉に対して強烈な違和感を覚えるのです。
なぜならこれらは、「支配者」が使う言葉だから。
子供は親の所有物ではありません。
また親は、子供を支配してよい存在ではありません。
たとえ親子の関係であろうとも、「人格」を持った個人としてお互いを尊重し合える距離感が必要なわけです。
それを「境界線」(バウンダリー)と呼びます。
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目次
躾けとは区別する
子供がまだ幼くて自分で責任を負えない時期に親が子供を躾けることと、親が子供を支配することとは根本的に違います。
例えば、行動とその結果の因果関係を教え「自分の行動に責任を負うこと」を子供に教えるのは、親の義務です。
子供が何かを壊せば親が弁償する。
子供が約束の時間を守れなければ、その結果は自分で引き受けることどを教えていったりする訳です。
子供の心身のニーズを満たすように動き、時として「親にも限界(できることとできないこと)がある」ことを「適切な形」で子供に伝える。
そうすることで、「あなたもすべてをできなくてもいいんだよ」と教えていくわけです。
しかしそのような躾けではなく、子供を自分のエゴを満足させるためだけに思い通りに動かそうとするのは、親が抱えているナルシシズムの問題(エゴ)です。
子供はありのままの自分を表現して良い
子供が親に対して、
- それはしたくない
- これをしたい
- それはできない
- これはできる
- これが好き
- これは嫌い
と、ありのままの自分で接することは、「逆らう」ことや「親に背く」ことではありません。
ましてや「わがまま」ではありません。
子供にありのままの自分、自然体な自分で接することを許さない親であれば、完全なる毒親、その親に相当な問題があるということです。
子供がありのままに自由に自分を表現したとき、
- 親に逆らうつもりか
- 親の言う事は素直に聞くものだ
- 親に背いてはならない
- あなたのために言っているのよ
- もっと親孝行してよ
- あなたが結婚しないとママが不幸
など言うのであれば、親が子供を自分の思い通りに動かそうとしているだけです。
そしてそのことに対して自覚がないし、今後も自覚が芽生えることはない。
彼らにとってそれは「普通のこと」だからです。
親もまた、自分の親からそのように育てられているからです。
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主従関係か支配関係に陥っているサイン
人として自由に生きている限り、「逆らう」とか「背く」という状況はまずあり得ません。
常日頃から誰かと主従関係になっていたり、支配する・支配されるという関係に陥っているのであれば別ですが。
もしもあなたが何かや誰かに「逆らう」とか「背く」という状況にあるのだとしたら、それはあなたが相手と主従関係か支配関係に陥っているという明確なサインです。
相手と癒着している状態だと気づくことが必要
以前から何度も書いている通り、日本人は境界線の概念が希薄です。
自分と他者を区別する意識がなく、自分と他者がべったりと癒着して依存し合うような人間関係が多くみられます。
親子関係のみならず、兄弟姉妹との関係、友人関係、パートナーとの関係、師弟関係など。
すると、本来口出しすべきでないことまで口出ししたり、また相手もそれを当たり前のことと捉えるという「垣根のない」状態が生じることになります。

以前ネット上で、数年前に亡くなった女優の樹木希林さんの思い出を語っている浅田美代子さんのインタビュー記事を読みました。
浅田さんによれば、樹木希林さんとは親友関係で、歳上の樹木さんから人生や生き方についていろいろと指南されていたそうです。
「独身で生きるなら不動産を買え」というアドバイスに従ってマンションを買ったり、ローンの支払いについてのアドバイスにも従っていたとのこと。
しかし一つだけ「背いた」ことは、「早く再婚相手をみつけなさい」というアドバイスだったそうです。
「背く」も何も、本来そのようなことは他者が口出ししてはならない問題なんですよね。
たとえ相手が親友であっても。
私の感覚からすると、この二人の距離感は近すぎるんです。
本来であれば、浅田さんがどういう生き方をするか、何を買って何を買わないか、どんなパートナーを選ぶか、結婚するかしないかということに関して、友達と言えども意見できない領域です。
相手が「アドバイスを求めてきた」のなら別ですが、それ以外で自分以外の他者を「自分好みに」動かそうとしてはならない。
ましてや不動産購入や結婚に関することに自分の意見を押し付けるなどはあってはならないことです。
求められない限り、相手の生き方に口を差しはさまない。
それが相手を人として尊重するということです。
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自分と相手は全く別の存在という意識を持つ
意識上で境界線を持つとは、自分と相手が「まったく別の存在」であることをしかと認識し、相手のすべて(価値観、生き方、抱えている問題や課題の取り組み方・乗り越え方など)を尊重すること意味します。

互いが明確に「自分」を持ち、一人で立てている状態です。
この状態にあるときに初めて「健全な人間関係」を築くことが可能となります。
無意識の状態で生きていると、ついうっかりと相手の境界線を侵害していたり、また相手に自分の境界線を侵害させたりしてしまうものです。
その都度意識の境界線を明確に持ち直し、言動のズレを修正していくことが必要です。
自分の境界線が侵害されているかどうかは、自分の中に「不快感」が湧き上がってくる感覚でわかります。
健全な自我を持った人であれば、他者が自分のことにアレコレ口出ししてきたり、お節介をやかれることに不快感を覚えるのが自然だからです。
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