今までもずっと一貫して書いてきたことですが、人生とは一つの壮大な「癒しの旅路」です。
私たち人間は無垢な魂の状態で地上で降りることを決め、自分で肉体を選んで生まれてきます。
当然どの国に生まれるか、どの両親の元へ生まれるか、兄弟姉妹の有無まで自分たちで選んで来ています。
誤解がないよう記しておきますが、だからと言って「不平不満を言わず与えられているものに感謝しなさい」とか、「与えられた環境を文句言わずに受け入れなさい」ということではありません。
そういうことが言いたいわけではないのです。
今ある現状に問題があるのなら解決・解消しなくてはならないし、不満はちゃんと認めて「自分を満たせるように」変化する必要があります。
それとは別に、「癒しの旅路」としての人生の本質を理解するためには、もっと深いレベルでの理解と視点を転換を行う必要があるということなのです。
5つのステージ
癒しの各テーマやトピックについては今まで書き続けてきているので、今回は「癒しの旅路」としての人生を大まかに5つのステージに分けて解説していきます。
- 認知のステージ
- 怒り(感情)を解放するステージ
- 癒しのステージ
- 理解を深めるステージ
- 赦しのステージ
認知のステージ
認知のステージとは、簡単に言えば「事実をありのままに認める」ステージです。
私たち人間は、幼少期より様々な条件付けや刷り込みをされてきているため、事実を事実であると認めることがなかなかできません。
例えば幼少期より親から虐待を受けてきた人でも、「私が反抗的だったから両親から少しきつく躾けられた」など、事実をゆがめて認知・認識していたりします。
ですが、それは事実ではありません。
歪曲された認知です。
事実は何かと言えば「両親が未熟だったために子供の自分が言われのない暴力とニグレクトの被害にあった」ということです。
しかし、「この事実を認めることができなかった当時の大人たち」にとって都合の良い解釈に歪められて認識されています。
「本当は何があったのか」ということをまっすぐに認めて言葉で表現できる人はそれほど多くはないのです。
私の例を出せば、自分が高等教育を受けさせてもらったことに対して、長らく「うしろめたさ」や「罪悪感」を持ち続けていました。
普段から意識していたわけではありませんが、私の深層心理や潜在意識には常に「親に迷惑をかけた」「わがままだった」「申し訳なかった」という「罪」の意識があったのです。
「わがままな子」とは、「親の思い通りにならない子供」という「親目線」の解釈で、本当の私は「わがまま」ではない。
ただ素直に正直に自分のやりたいことをやりたいと言い、進みたい道に進みたいと言っただけ。
それ自体、何も悪いことはない、普通のことです。
問題は、そのときに両親が自分たちの気持ち(経済的に圧迫されるのがツライ)を正直に認めようとしなかったこと。
子供である私とちゃんと話し合いをすることなく、嫌味や当てつけ、心理操作を使って、私に「罪悪感」を植え付けたことなのです。
「子供にやりたいことをさせてやるだけの財力がない」ことに関して「罪悪感」や「いたたまれなさ」を感じていたのは親の方。
しかし、親がそれらをしっかりと認知しなかったために、私にそれらが投影されて植え付けられてしまったということです。
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認知のステージでは、今までの認知のすべてを検証しなおし、一体何が「事実」で何がそうでないのかを、きちっと精査し直していきます。
自分のカルマの責任を負う
それと同時に、自分が他者に対してしてきたことに対しても、真っすぐに向き合うことを促されます。
自分が何かしらの被害者であるときに、その裏には必ず加害者の側面が隠れています。
これに例外はありません。
今回の人生で、自分が何かしらの被害に遭っているのだとしたら、いずれかの人生において、自分が他者に対して同じ危害を加えたということ。
認知のステージでは、今まで胡麻化してきたすべてを白日の元へ晒し、直視することを促されます。
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通常はこのステージを「目覚め」とか「アウェイクニング」と呼びます。真実・事実に対して意識を覚醒させていくステージだからです。
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