「親から愛されたい」渇望と執着を手放すことで人は成熟する

無意識のステージ

インナーチャイルドがしっかり癒えていない人の特徴は、「親から与えてもらえなかった無条件の愛」を与えてくれる人を探し求めて彷徨い続けることです。

本人に自覚はなく、無意識のうちにこれをやっています。

自分に興味を示したり、近づいてきてくれたりする人たち、先生や友達、パートナーや自分の子供などに、無意識のうちに「無条件の愛」を求めてしまいます。

  • 私の気持ちわかって
  • ありのままの私を受け入れて
  • 優しい言葉をかけて
  • 私のわがままをきいて
  • 私に合わせて

子供の頃、親に求めても得られなかったものを取り返そうと、無意識のうちに相手を試すような言動を繰り返します。

あるいは、自分が傷つくことを怖れて相手との接触を故意に避けたりします。

結果的にその「問題行動」が相手との関係を壊したり、相手を遠ざけたりすることになります。

しかし自分では自覚がないし、あったとしてもコントロールは効きません。

自分の内面にまだ癒えていない見捨てられ不安や回避性や愛着障害が残っているからです。

これらの威力は大きく、「意志の力」でなんとかなるような問題ではありません。

これを乗り越えるためには、専門家の助けを得ながらインナーチャイルドを癒すことが必要です。

それがなされないうちは、他者と健全な人間関係を築くことができません。

どこかしら「歪(いびつ)な形」の関係とならざるを得ないでしょう。

多くの人は自分の痛みに向き合おうとせず、飲酒や喫煙、カラオケやギャンブル、飽食やゲームなどの逃避行為に依存します。

それを続けている限り、成長はありません。

怒りを認め解放するステージ

次のステージへ移行すると、多くの人は、自分の中に親に対する強烈な不満と怒りと恨みがあることに気づきます。

これに気づくこと自体が、人間としての成長という観点からは大きな進歩なわけです。

「無意識のステージ」ではまだ自分と親が一体化していて、親に対して「健全な怒り」を向けることすらできません。

それはとりもなおさず、未だに「幼少期の親子関係を引きずっている」ことを意味します。

つまり、未だに親を自分よりも「偉い」ものとして無意識のうちに自分の上に置いています。

ヨーロッパやアメリカでは、子供は高校生にもなれば、自分の親を「下の名前」で呼び始めます。

なぜなら自分と親を「同等の立場の人間」とみなして水平な人間関係を求めるからです。

いつまで経っても親を「お父さん」「お母さん」と呼び続けるアジア諸国の文化とは大きく精神的成熟度に違いがあると感じます。

日本人はとくに人間関係に上下意識を持ち込みやすい(先輩・後輩など)民族です。

多くの人が成人後もそういう意識で暮らしていると推察します。

私たちは、「無意識の親」に育てられる過程の中で、自分の人間としての尊厳を踏みにじられ、親に支配・コントロールされ尽くされてきました。

親は「わざと」そうしているわけではないのです。

無知だから、無意識のうちにそうしてしまっているだけ。

ですが、そういうことをされ続ければ「怒り」を感じるのは当然のことです。

子供だった頃は親に逆らったら生きていけませんから、この怒りを抑圧して「無かったこと」にして生き延びてきただけです。

その「怒り」が体内に蓄積されたまま停滞し、人生に様々な問題を引き寄せるようになっていくわけです。

この「怒り」を認め、解放していくステージがここから始まります。

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親のありのままを受け入れるステージ

このステージをしばらく続けると、こう考え始めます。

  • なぜ親はありのままの自分を愛してくれなかったのか?
  • なぜ親は自分を否定し続けたのか?
  • なぜ親は自分を拒絶したのか?

私自身、このステージにかなり長いこといたような気がします。

しかしあるとき答えがわかったんです。

答えは非常にシンプルで、「親に愛する能力がないから」

誰でも親になることはできます。

でも、すべての人が自分の子供を愛せるわけではありません。

むしろ、「愛する」能力を持った人などほとんどいないという事実。

日本社会の8割以上の人は「愛する」能力がないままに人の親になっているという実態があります。

その事実をありのままに認め、受け入れるだけ。

「親のありのまま」を受け入れることで、「親から愛されたい」という渇望と執着を手放すことを学んでいきます。

自分を愛することを学ぶステージ

そこからは自分で自分を愛す」ことを学び訓練する、「自分で自分を満たす」ことを学び訓練するステージへと移行します。

親への不満・怒り・恨みを解放しつつ、親から「愛されよう」と躍起になるのをやめ、恨みを向けるのをやめ、自分に集中していく時期。

何かあったときに、自分以外の誰かや何か(逃避手段)へ依存・逃避するのではなく、「自分自身にしがみつき」「自分とだけ共にいる」「自分で自分の気持ちを受け止め支える」ことを実践を通して身に着けること。

このステージを通過してきます。

これが、アセンションのステージで「一人きりでいる時間」が沢山必要になる理由です。

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「愛する」とは

誰かを「好き」になることは誰にでも簡単にできます。

ですが、誰かを「愛する」ことができる人はほとんどいません。

「愛」だと思っていても、それは単なる「共依存」の症状だったりします。

誰かを愛するとは:

  • 相手を理解すること
  • 相手の問題に自分が手出しすることなく相手に任せておけること(信頼)
  • 相手を自分の思い通りに動かそうとせず相手の自由意志を尊重できること
  • 相手の限界を受け入れること
  • 相手の弱点を受け入れること
  • 相手に思いやりをかけること
  • 相手の個性を「直そう」とせず「伸ばす」サポートができること

もしも「私はこういうことをやっている」という人がいても、それは「自分が愛されたいからやっている」共依存の症状です。

本当の意味で内面が成熟している人は、「自分に被害が及ばないように自分を守りながら」「自分を犠牲にすることなく」相手を放っておけます。

相手の問題と自分の間に健全な境界線を引き、相手の傷を「私が癒してあげる」と思わないで済むこと。

そして、自分が関われる範囲においてだけ関わる、それができないなら縁を切ることができる。

それが本当の意味での成熟であり、愛なんです。

「誰かを愛する」ことと、相手の問題行為や欠点をすべて許して自分に害が及んでも我慢するということは、まったく別問題です。

相手と全く関わらないことを選んでも、同時に相手を愛する(愛を与える)ことは可能です。

「誰かを愛する」とは、相手が限界を持った生身の人間であることを理解し受け入れ、正しい・間違いでジャッジせず、相手に思いやりや理解を送れること。自分に害が及ばないように距離をとりつつも、相手の幸せを願えること。相手には課題を乗り越える力があると信じて放っておけることです。

以下のようなことはすべて「愛」の範疇に入ります:

  1. 平和、自由、歓び
  2. 楽しみ、熱意
  3. 幸福、情熱
  4. 理解、思いやり、優しさ
  5. 信頼、楽観、受容、許し
  6. 希望、逞しさ、意欲、
  7. 満足、落ち着き
  8. 勇気、中立

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