「本当の自分を生きる」ってそんなに小難しいことではなくて、つまり、「自分という人間」を表も裏も包み隠さず丸ごとすべてで生きるということ。
それができるためには、自分の「すべて」をありのままに受け入れられている必要があるわけです。
- ずぼらな自分
- 他人に嫉妬して相手の不幸を望む自分
- 無意識で生きて機能不全だった自分
- 社会に適応できずに苦しんだ自分
- うっかりミスが多くて自信が持てない自分
- テストで100点満点中2点を取った自分(もはやネタ)
- 毒舌で人を傷つける自分
ずっと昔は自分がしたことに罪悪感を覚えて、それに随分と苦しんでいました。
でも、この世に何も欠点がない人間なんて一人もいない。
その事実を受け入れて、完全でない自分も受け入れて、丸ごとの自分で生きていくしかないと悟った瞬間があったんです。
よく、「人を傷つけたくない」っていう人がいます。悩んでいる人や自死してしまった人について、「どうして相談してくれなかったの」「話してくれていれば」って言う人もいます。
どんだけ傲慢なんだと思う訳です。
それって、自分は人を傷つけずにいられると思っているということ?自分にさえ話してくれれば、その人の命を救えたと思っているということ?
私たちは誰一人として他者を傷つけずに済む人はいないし、他者が「死にたい」と思うことを変えることができる人もいません。
できる人がいるとすれば、それはその人自身しかいない。
人間のありのままを認めて受け入れて、等身大の自分で生きる覚悟があるかどうかということ。
意識が覚醒したからには、今までのように無意識に悪さをすることはできなくなります。
他者の足を引っ張ろうとしたり、貶めようとしたり、自分の痛みから逃げるために相手を傷つけることを選んだり。
そういう機能不全な言動がしだいに減っていくことこそが、本当の自分へ戻る過程なわけです。
ネットフリックスのシリーズで、アメリカ発の「メンタリスト」という番組があります。
その中でカリフォルニア州立警察に勤務する女性が自分の仕事について語ったシーンがありました。
「多くの犯罪者と接してくる中で、なぜ人は犯罪を犯すのかと考え続けた。結論は「人は何かを隠そうとして」犯罪に走ってしまう」
内面が多方面へ分裂しているうちは、人間はどうしても自分の一部や数か所を隠したいと思うものです。
人を傷つけてしまう自分を受け入れられない人はその部分を隠そうとするし、他人への嫉妬に苦しんでいる人はその部分を隠そうとします。
そしてそれらの要素を外の世界の他者へ投影し、「人を傷つけるとはけしからん!そうすべきではない!」とやらかすわけです。
結局、自分の内面が統合できないうちは、受け入れられていない自分の要素を四方八方へ投影し、それに対して苛立ちを募らせるという地獄に暮らすより他選択肢はないわけで。
本当の自分に戻るとは、自分のすべてをありのままに直視し、それを受け入れ、愛し、その自分で生きていくと決めることです。
機能不全な言動は心が癒えれば自然と消滅します。
関連記事:
本当の自分を生きるために役立つ情報を発信しています。
無料メルマガにご登録いただいた方には、「満たされない本当の理由」を解説した動画を無料でプレゼントしています。
© 当サイトの文章およびロゴや商標の著作権は百瀬章子が所有しています。許可なく無断転載することを固く禁じます。