「責任感」と「義務感」は一見似ているようでいて、まるで違うエネルギーです。
「責任感」とは内面の成熟に伴って自然と形成されるコミットメントの一種ですが、「義務感」は「本当はやりたくないけど仕方なしにやっている」時に出る「抵抗波動」です。
「責任感」は人間が成熟するために必須のものですが、「義務感」は人間の良さを損ねるものです。
「責任感」のある人に育てられた子供は「愛」を得ますが、「義務感」で育てられた子供は「罪」を背負います。
ここでは分かりやすい例として「男性」を挙げますが、あくまでも「例」として取り上げますので、エネルギーの違いを理解する助けとして参考にしていただけましたら幸いです。
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責任感とは
最近、日本の元女優と結婚した俳優のインタビューを読みました。
「独身の頃は、仕事が終われば飲みに行って朝まで飲んで、そのまま現場入りみたいなことを毎日していた。それが楽しかったし、カッコいいとも思っていた。でも、妻が妊娠して子供が生まれ、守るものができてからはそういうことには一切興味がなくなった」
ということでした。
「妻が身重で動けなれば、俺が守らなくてはならない。守るものができた今、無責任な行動はとれない」
と仰っていました。
これが「大人の男性の責任感」です。
重要なことは、これが他者や世間から押し付けられたことではなく、この人の内面から自然と湧き上がってきた欲求であるということ。
つまり、「妻子を守ること=自分がやりたいこと」だと言う事です。
これがあるときに、人は本物の「責任感」を持つに至ります。
私が26歳の頃いきつけだった香港のある日式居酒屋に勤める香港人男性は、満面の笑みで生まれたばかりの息子さんの写真を見せてくれました。
「私の誇りです」
彼はそう言っていました。
「息子のためなら、私はどんなツライことでも耐えられる」
内面が成熟している男性は、妻や子供のために自分を捧げたいと自然と思えます。
そして妻・子供は「愛されている」と心の底から感じとることができる。
すると本当に自然に、心の底から感謝の念が湧き上がってくるのです。
逆に、いつまでも内面が未熟な男性は、妻や子供のせいで「自分が犠牲になっている」と感じます。
そういう人が抱くのが「義務感」です。
義務感とは
義務感とは、「本当はやりたくないんだけど、これが自分の義務だから仕方なしにやっている」感覚のことです。
例えば、内面が未熟な男性は、内心では妻や子供のせいで自分のやりたいことが思うようにできなくなったことに不満を感じています。
あまつさえ自分の稼ぎの大部分が家族のために消えていくとなれば、「誰のお陰で生活できていると思ってるんだ!」と、嫌味をまき散らして家族に当たることさえあるのです。
本物の愛情や責任感から出ている行為ではないので恩を着せたがりますし、「感謝が足りない!」などといって家族に感謝を要求したりします。
問題はこの人が内面的に未熟で大人になりきれてないことですが、その部分に自覚がないので、周囲は無意識のうちに「罪悪感」を植え付けられます。
「罪悪感」を植え付けられた家族は、「自分たちに何か問題があるのでは?」と感じ始めます。
そしてその感覚に耐えられず、いずれこの人から離れたいと願うようになります。
関係は遅かれ早かれ破綻します。決して良い結果とはなりません。
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