意識の拡大と行動パターンの変化

アセンションのプロセスが進むにつれて、私たちは断続的に大きな意識の拡大を経験していきます。それに伴い、日々の言動パターンにも明らかな変化が出始めます。

意識の拡大というと難しく聞こえるかもしれませんが、要は「今まで知らなかったことを知る」という意味です。無知で生きていた頃とは違い、どんどんと意識が拡大して、色々なものがよく見えるように変化していきます。

今の私は、6~7年前と同一人物とは思えないほどに色々なことが変わりました。その一つに、消費パターンがあります。

6~7年前までの私は大金をタバコに費やしていましたし、外食では多くの肉を消費していました。革製品が好きだったので、革の靴やバッグをよく買っていました。

今ではこのすべてを手放しています。

この記事の中では、私が自分の消費行動を見直すきっかけとなった出来事と、それに対する数年間に渡る私の洞察を書いていきます。

私がこの記事で言いたいことは、「動物の肉を食べるのは間違い」であるとか、「肉を食べるのは可哀そう」というようなことではありません。そうではなく、もっと深い内容です。

少しでも関心がある方は是非最後まで読んでみてください。

都合の悪い真実を直視する

まずはこの記事をシェアします。尚、記事中には日本の養鶏場の生生しい記述や写真が含まれていることを書き添えておきます。

日本で「ニワトリ」はこんな風に殺されている…知られざる現実

抗生物質にまみれ…日本のニワトリが辿る「悲劇」をご存知ですか?

多くの方は、このような記事の内容に「不快感」を覚えることでしょう。

怒って「不快だ!」と言う前に、なぜ「不快」に感じるのかを、よく自問自答してみて欲しいのです。こういう記事を読んだときに、自分の中にどんな反応が湧き上がるのか。そこを感じて「知っていくこと」が、自分と向き合うということです。

私は、悲惨な内容の記事でも、あえてシェアしたいと思います。意識が拡大していく過程において、「都合の悪い真実」に向き合う局面を避けては通れません。臭い物に蓋をして、見て見ぬフリをしている間は、意識改革は進まないからです。

2014年に、私はこれよりもひどい内容の映像を見てしまいました。

それから3年間ほど、肉を一切口にすることができなくなってしまいました。今まで知らなかったこととはいえ、自分の口に入る肉がこのように生産されていたという事実を知り、とてもショックだったのです。それ以来、無邪気に肉を食べることができなくなってしまったのです。

肉を「生産」するのは現代人だけ

それ以来、私は自分自身の肉食と、現在人間が行っている食肉生産について考え続けてきました。洞察を正確に言語化できるようになるまで、時間がかかりました。

冒頭にも書いたように、私は「動物の肉を食べるのは間違い」であるとか、「肉を食べるのは可哀そう」と言いたい訳でないのです。

そもそも人間は雑食動物で、古代より狩をして動物の肉を食べてきました。自然界にも肉食動物は多く存在しています。

ですが、自然界に生きる動物は、その日必要な分の食料を狩るだけで、人間のように食肉用の肉を「生産」したりはしません。

私は、養鶏場や養豚場の様子は、「飼育」ではなくて「生産」の方が正しい表現だと思っています。「飼育場」ではなく、「食肉生産工場」です。

私が激しい怒りと深い悲しみを感じるのは、人間が肉を食べているという事実ではなく、こんな悲惨な状態で「肉を生産している」人間(エゴ)の残酷さに対してなのです。

養鶏場から出荷されたブロイラーは処理場に運ばれます。まず生きたまま『シャックル』という機械に逆さの状態で吊るされます。

そのままベルトコンベアで移動して、カッターで首を切られます。一部の施設では電気水槽で意識を失せますが、この装置がない施設も日本には多くあるのです。

また首を切断する過程で鶏が暴れてしまい、頸動脈を切ることに失敗し、死に切れないまま次の工程の熱湯につけられるというケースも稀に出てしまうのです

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81209?page=4

もしも自分がこんな目に遭ったら・・・・

そう考えると気が狂いそうです。

どれほどの恐怖、痛み、苦しみ、嘆き、悲しみ、怒りを感じることでしょう。とうてい耐えられるものではありません。

ですが、これが一日に何万羽の雛鳥たちがたどっている「日常的な運命」なのです。

動物は私たちと同じ

動物は痛みも感じるし、人間と同じ感情があります。

動物は人間より劣っているから、ひどい扱いをしても何も感じないだろうと考えるのがエゴなのです。人間の方が優れているのだから、動物が犠牲になることは仕方がないというのも、エゴの理屈です。

ネイティブ・アメリカンやその他原住民たちに今も引き継がれる「本来の人間の精神」は、自分たちの糧となるために命を落としてくれた動物たちに、感謝の祈りをささげることを忘れていません。忘れるどころか、それは人間の生活とは切っても切れないものなのです。そこに、人間は他の動植物と地球という家をシェアしているという「共存」の精神があります。

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本来の人間の精神を見失ったエゴは、自分の利益のことしか考えていません。どれほど効率的に肉を生産して採算を上げるか。それがエゴにとっては至上命題なのであって、動物たちの痛みや悲しみや苦しみは考慮しません。

自分の利益の方が他者の痛みや苦しみよりも大事だからです。

新しい選択

無意識で生きていた頃の私は、何も知らずにいろんなものを消費していました。

事実を知り始めてからは、自分の「〇〇したい」という欲求と、動物たちの苦しみに対する罪悪感に葛藤しました。

肉を食べることは簡単に手放せましたが、鞄、靴、小物、革製品が好きな私にとって、これらを手放すことは痛みを伴ったのです。

このことについて、長いこと悩みました。そして今はある程度の結論へ達しました。

以前買った革製品は、手入れをして今でも大切に使っています。でも、もう新しく革製品を買うのは辞めました。

なぜなら、今の自分の行動は、今の自分が選べることに気づいたからです。

革製品が好きだったころ(今でも好きだけど)の自分に罪はありません。無知だったのですから。

でも今は違います。もっといろいろなことを知っているし、その上で自分がどうしたいのかを自由に選ぶことができるのです。

今の自分で生きるとは、古い自分の行動パターンを手放すということです。

そのようにして、私の消費パターンは過去6~7年の間に何度も葛藤を潜り抜けながら、大幅に変化していったのでした。

私は、今では一か月に1~2回は肉を食べます。「食べてごめんねぇ」という罪悪感ではなく、「私の糧になってくれてありがとう」という感謝の気持ちで食します。

何が正しくて何が間違いという問題ではなく、自分の行動の一つひとつにどれほど意識的になれるかという問題なのです。

アセンションのプロセスにおいて古い自分の言動パターンが崩れていくのは必至です。それには多少の痛みを伴います。長年慣れ親しんだ行動パターンを手放すには勇気が要ります。

すぐにできなくても良いのです。毎回自分との対話を重ねつつ、「今の自分ならどうするか」を常に問いつつ、新しい選択を重ねていくのです。そうやって一歩一歩進んでいく道です。

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プロフィール

1973年長野県生まれ。約20年に渡り5か国に暮らしながら心理学、形而上学、精神世界を学び実践してきた。2018年に自身の経験をシェアしたブログを開設。現在は国内外のアセンションのプロセスにある人たち、自分らしく生きたいオールドソウルたちの個性化のプロセスをサポートしている。

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