50歳を目前にして、今の私にわかることは、結局「人生」とは「完全に自分の思い通りに創ってそれを生きればいい」ということ。
それは、人間が生まれたときから与えられている権利。
自由意志そのものです。
しかし、長く続いてきた人類の歴史の中で、人権は常に弾圧され傷つけられ、「自分らしく」生きることは認められてきませんでした。
1973年に日本で生まれた私には、近代の日本史までしか遡る気力はないですが、
当時は、
- 男は28歳まで、女は25歳までに結婚し
- 一人以上の子をなし(一人っ子は可哀そうと言われた)
- 安定的な職業につき
- 30年のローンを組んでマイホームを手に入れる
という、政府お仕着せ型の「人生のひな型」が出来上がっていました。
つまり、それが日本の高度経済成長を支えるための「一番効率的な人々の働かせ方」だったということ。
30年ローンでマイホームを買う人が増えれば、GDPは簡単に上げられます。
実質的には30年がかりの借金を背負わせて人々を9時ー5時の仕事に縛り付け、上に盾突かないよう年功序列制を敷き、莫大な退職金(老後資金)を餌に、長期に渡り従順に働く労働力を簡単に集める「仕組み」を作った人たちがいた、わけです。
それ以前には、これとは全く別の「人生のひな型」がありました。
いつの時代にも、「人生とはこう生きるもの」「これが正しい生き方」という「型」があり、人々はその型に自分を合わせようと必死になり、帳尻が合わない部分はアングラで発散させていました。
そこからはみ出した生き方は許されず、レールに乗らない人がいれば「変わり者」とみなされました。
1970~80年代にかけて、日本においては「幸せとはこういうものですよ」と、当時まだ新興産業だった広告業界が一斉に宣伝を始めました。
「クリスマス・イブ=恋人たちのイベント」というイメージは、雑誌 an.an が80年代にスポンサーたちと組んで創り上げた日本特有の文化です。
その証拠に、私の両親の世代には「クリスマス・イブ=恋人たちのイベント」という認識はありませんし、諸外国ではクリスマス・イブはクリスチャンがミサに出席する日です。
当時から今に至るまで、広告業界と放送業界、政界はズブズブです。
大衆を洗脳・コントロールしたかったら、広告業界と放送業界の二つを抑えることが何よりも重要でした。
しかし、その仕組みの崩壊はすでに始まっています。
今はまだ名残があって、その頃の観念に縛り付けられている人たちもいる。
でも、概ね社会のレールなんてあってもないに等しい状態になってきてはいます。
コロナがあってもなくても、自宅で何かに熱中している大人がいてもいいし、すべての人が「職業」を持っている必要もないし、どんなライフスタイルで、どこで何をして暮らしていようと、完全に「個人の自由」なわけです。
私自身、フリーランスとして日中から自由に街の中を動き回り、好きな場所でやりたいことをして、好きな時に寝て好きな時に起きる生活をしていて、今では「それが当たり前」の境地にまでなりました。
最初はそういう生活に慣れず、焦っていたり居たたまれなくなったりしたものです。
一度洗脳が解けてしまえば、二度とはその中には戻れない。
戻りたくもない。
洗脳の外の自由を知ってしまえば、狭い檻の中に入って暮らしたいとは思えないことと一緒です。
ただ、すべての人がそれを望む訳ではないことも知っています。
いずれにしても、人生をどう生きるかは、完全に個人の自由。
それだけは変わりません。
クローズドの情報や個別セッションの割引情報などは 無料メルマガ 内でお知らせします。
© 当サイトの文章およびロゴや商標の著作権は当サイトが所有しています。許可なく無断転載することを固く禁じます。