これからの時代、ただ単に生き抜いていくだけではなく、幸せを実感しながら人生を楽しめるために必要なものは、「自分の幸せの軸」だと考えます。
このブログではずっと書いてきたように、今までの時代は社会や何かから「幸せとはこういうものだ」とお仕着せられたものを信じて生きてきた時代でした。
- 適齢期で相手を見つけて結婚すること
- 安定的な職業につくこと
- 社会的信用を得てローンを組んでマイホームを買う事
- 子供に教育を受けさせること
- 老後資金を蓄えること
こうしたことが恙なくできることが幸せで、できないと幸せになれない。
人々はそんな幻想を抱かされてきました。
そして、「〇〇さえ手に入れば」自分は幸せになれると、多くの人が考えました。
- 身長がもう少しあれば
- 胸がもう少し大きければ
- 顔がもう少し小さければ
- 良い学校に入れれば
- 大きな会社に入れれば
- 公務員になれれば
- ○○の資格を手に入れれば
- こういうスペックの人と結婚できれば
- こういうマイホームを手に入れれば
でも、そうしたことはすべからく、社会が意図的に生み出して私たちに与えた幻想に過ぎません。
マーケティング理論を少しご存じの方なら、私たちの生活がいかに意図的に操作されているかおわかりでしょう。
欲しくもないものを欲しがるように、買う必要もない物を買いたいと思わせるように、生活の至るところに様々な仕掛けがあるのです。
何も知らなければそれに乗せられて、欲しくもないものを「どうしても欲しい」と思わされてしまう。
そして、それが手に入らなければ「自分は不幸だ」と思わされてしまう。
見えない力に背かずに諾々とそれに従う人(従順な子羊たち)は「素直」とみなされ、少しでも自分の頭で考えて「ちょっと待てよ、、、」という人は「面倒くさい人」「反抗的」(ブラックシープ)と言われる。
しかし、いくら努力してこういうものを手に入れたとしても、自分の中にある「満たされなさ」は埋めることができません。
なぜなら、それは自分が本当に求めるものではないし、自分が本当に求めるものを手に入れない限り、幸せになれないのは道理だからです。
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目次
自分自身を生きる
自分自身を生きるとは、「自分は何に幸せを感じるか」に忠実に生きることを指します。
何に幸せを感じるかは人によって違います。
大勢の人たちと集まってワイワイガヤガヤやるのが好きな人もいれば、少人数で深い話をするのが好きな人もいる。
あるいは一人キリで本を読んだり音楽を聴いたり散歩したりするのが好きな人もいる。
肉が大好きな人もいれば、私のように生まれつき動物性脂肪が苦手な人もいる。
肉が大好きな人にとって焼肉やステーキを食べることは幸せだけれども、私にとっては拷問。
多くの人は、「家の中にばかり閉じこもっているのは良くない、外に出て気分転換しなくちゃ」と言います。
でも、私が知る限り、「家の中でジッとしているときに幸せを感じる。外に出るのは好きではない」という人は確実に存在しています。
こういう人を見ると放っておけずにアレコレと誘いをかけて連れ出そうとしたり、「外へ出た方がいいよ」などと言って諭そうとするのは、「やりたくないことでもやらされることに慣れている人たち」です。
彼らは子供の頃から「本当はやりたくないけどやった方がいい」と親から言われることをやらされ慣れてきたので、他者にも同じことをしてしまう。
家の中にずっといることに幸せを感じる人であれば、思う存分それをしたらいいんです。
そして、外に出たくなったら出たらいい。
問題は、やりたくないことを「やった方がいいから」やろうとしたり、やらせようとしたりすること。
本人の意志を尊重せず。
本来の自分の感覚に背いたことをやらされたりやったりするとき、人は不幸になります。
自分の幸せは何かを探る
同じ人間でも歳を重ねるに従い何に幸せを感じるかは変化していきます。
若い頃の私は時間とお金さえあれば世界中を旅行していました。
好奇心が強くて、未知なものを見たり経験したりすることが大好きでした。
40代に入ってから体力が落ち、飛行機に乗るとメニエールを発症するようになりました。
2019年に10時間以上のフライトでヨーロッパへ行ったときは眩暈が止まらず、現地で3週間過ごしたうちの半分くらいは寝ているという事態になった。
それ以来、旅行からは遠ざかりました。
今の私は、
- 身体を鍛えること
- コーヒーを楽しむこと
- 猫の身体を触ること
- 好きな小説をゆっくり読むこと
- きちんとした食事を摂ること
- 雨や風の匂いをかぐこと
- 色のキレイな服を着ること
- 部屋を清潔で快適に保つこと
- 気の合う人と長話すること
こういう事柄の中に幸せを見出しています。
これらが私の「幸せの軸」です。
世間や他者の価値観は関係ない
日本の若い人たちが重要視するコスパとかタイパとかは、私には合わない価値観です。
これから先、私に残された時間はそれほど多くはありません。
だから生き急ぐような生き方はしたくない。
今目の前にある瞬間瞬間を丁寧に味わいながら、「今」を実感しながら過ごしたい。
私自身が大人になったんです。
「アラサー、アラフォーになって結婚に結びつかない恋愛はしたくない」という人もいます。
一度も結婚というものをしたことがなければ、そういう気持ちになるかも知れない。
でも結婚さえすれば関係性が安定すると思ったら大間違いだし、結婚したからといってそれでハッピーエンドではありません。
大事なのは、心の通い合いと絆を築き続けること。
それは双方のたゆみない努力があってこそ維持できるものです。
自分の気持ちに正直に、自分と自分の本音の間に壁を創らず、常に自分の心に忠実にあり続けること。
相手に対する気持ちや感情が変化したら、それに正直になること。
そういうことをしないままに、形式的な結婚生活を続けている夫婦が世の中にどれほど多いことか。
相手に対する愛想は尽き果てているけれど、生存手段として結婚生活を維持することを選んでいるケースははいて捨てるほどあります。
そういう意味での結婚に、私は興味がない。
法律婚をするかしないかは、実際的な側面が大きいです。
婚姻関係を結んでいないと最後の時に病室に入って看取る事ができないとか、医師から病状を明かしてもらえないとかいうことはあり得ます。
パートナーが日本人じゃなかった場合、便宜的に婚姻関係を結ぶこともあるかもしれない。
だからといって結婚が私の幸せを左右する項目ではあり得ないということです。
幸せの定義は自分で決める
どれほど世間で言われる「幸せの雛型」を沢山集めたところで、それが自分合っていなければ人は幸せにはなりません。
私の場合、仕事や不要な人付き合いに忙殺されたり、世間の目を気にしてやりたいこともできないようでは、幸せを実感できません。
世の中には、「形さえ整っていれば」「絵に描いたような幸せな家族」などいう人たちが大勢います。
夫婦がいて子供がいてマイホームがあれば「幸せ」。
でもそれは幻想。
自分の幸せは自分で決める。
お金は「自分の幸せの軸」を維持するツールにすぎません。
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