最近は芸能人のスキャンダルで騒がしいですが、こういう時に必ず出てくるフレーズに、私はかねてより考えるところがあります。
そのフレーズとは、「世間をお騒がせして申し訳ありません」。
このフレーズ、芸能人やその他がコメントを出す際に、必ずと言っていいほど枕詞として差しはさまれている。
裏を返して言えば、日本人の集合意識(全体的なメンタリティ)の中に「「世間」を騒がせてはならない」という規範意識が刷り込まれているということ。
このことに違和感を覚える日本の方はどれくらいいらっしゃるだろうか。
- 「世間」とは何か?
- それを「騒がせる」とは何か?
- そもそも赤の他人の人生を暴露して「勝手に騒いでいる」人たちに対し、なぜ?何を?謝罪しなければならないか?
私にはこういう疑問が浮かんできます。
この記事では、
- 世間というものの存在
- 個人と世間の癒着
- 連帯責任の概念
に焦点を当てて書いていきたいと思います。
目次
「世間」とは?
そもそも日本以外の場所に、「世間」という概念が存在していません。
「世間」とは日本特有の概念であり、それを定義するのはとても難しい。
つまるところ、「世間」という言葉には「社会」とか「全体」とかいう意味があり、「人目」と置き換えてもいいのかもしれない。
「世間」で認められていないことをやってはいけない、「世間」に受け入れてもらえないことはやってはいけない。
それが規範意識です。
これこそが、日本が多くの人にとって窮屈で生きづらい場所だと感じられる根本要因のように私には思えます。
いずれにしても、「自分」や「身内」とは違った別の存在として、日本人の意識の中に「世間」が存在している。
それは「自分たち」よりも大きくて力を持った存在である。
そういう暗黙の了解が、日本人の意識の中にはあるように感じられます。
人々は「世間」を怖れ、それに後ろ指を指されないように、叱られないように細心の注意を払って生きるようになる。
例えば、空いている電車内で誰も座っていない「優先席」に座りたいが、「万が一座っているところを他人に目撃されてそれを批判されたり責められたりしたくないから座らないでおこう」と自分の行動を抑制する。
多くの日本人にとって、「世間」とは目に見えないけれど確実に圧力をかけてくる、そういう存在であろうと私は感じています。
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「世間を騒がせる」とは?
日本人の意識の中に、「波風がなく平穏で平和な日常でなければならない」という一つの基準というか思い込みがあるように思います。
そして、平穏を揺るがすようなスキャンダルや個人の情事は「けしからんことである」という認識があるのでしょう。
不祥事やその他が明るみに出てそれで「世間」が「騒げ」ば、その非は自分にあると認める。
それは「私にもそれくらいの常識はありますよ(だから嫌わないで)」というアピールになるということ。
相手や他者に対して常に遜った態度でいなければ嫌われるという刷り込みと思い込み、すごく強いですよね。
世の中には、政治家の不祥事や悪事など、市民が知る必要がある事柄は確かにあります。
でも、私の感覚では、芸能人の不倫スキャンダルや皇室事情は、私たちが本来知る権利や口出しする権利を持たない極めて個人的な部類のもの。
それを面白半分に勝手に暴き出してあぁでもないこうでもない、やれけしからん、あきれ果てたものだと好き勝手に口出ししているのは、「世間」の方でしょう。
なぜそれほどまでに他人の生き方や在り方や問題に興味があるのだろう。
そっちの方がよっぽど問題だ。
自分の内面に決着がついていない問題が多ければ多いほど、人は他者が気になります。
自分の問題を他者へ投影し、やれあの人はけしからん、許せない、あり得ないとぶち上げて溜飲を下げる。
でも、そんなことをしていても何も変わりません。
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連帯責任という恐ろしい概念
それから、日本以外の場所で、自分以外の身内の不祥事を家族が世間に詫びるという現象はまず起こりません。
- 一つには「世間」という概念がない
- 一つには、不祥事を「詫びる」(誰に対して?)という意識がない
- 一つには、自分以外の人間の責任を自分が背負わない
日本とはこういう違いがあるわけです。
未成年の子供の責任を親が負うのは当たり前です。
しかし、成人した自分の子供がどこで何をしていようと、それは自分の責任ではないという線引きがあるのが普通です。
自分の子供が不祥事を起こして窮地に立てば、そりゃ親は心を痛めるでしょう。
しかしだからといって、親である自分が出て行って「謝罪する(誰に対して?)」という発想も行為もまず見られません。
そういう文化(?)も概念も価値観もないからです。
私は個人的に、いやしくも大人である以上、自分の不始末の責任は自分で負うのが妥当だと考えます。
いい歳した大人なのに、自分の家族が出て来て「世間に対して詫びる」とかは違和感がある。
個人の結婚生活やその内情などは、当人がプライベート裡に粛々と始末していけばいいだけの話。
そんなことが公に暴露されることに違和感を覚えない文化に、私は大きな違和感を覚えます。
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