「潜在意識の書き換え」や「引き寄せ」に取り組む際に、特定の○○を願っているケースがよくあります。
簡単な例を出せば、「理想のパートナー」としてAさんという特定の人と付き合いたいと願うようなケースです。
それはそれで間違いではないし悪いわけでもないのですが、「望む結果を引き寄せる」という観点からするともったいないことではあります。
なぜかと言うと、「特定の〇〇」と制限をかけてしまうことで実現までに時間がかかったり、または実現しなかったりすることがあるからです。
例えばそれは、「将来は弁護士になりたいからどうしてもC大学へ入りたい」と願うようなもの。
「弁護士になる」という目標を叶えるための手段は無数にある。
しかしその中でも特に「C大学を通して」と限定してしまうことで、他の選択肢や可能性を拒絶してしまう結果となるからです。
そのような制限さえかけなければ、もっとも「自分に合った方法」を、潜在意識(宇宙)はちゃんと導き出してくれます。
そのことを踏まえた上で、この記事では望みを放つ上でのコツのようなものを書いていきたいと思います。
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目次
自分が何を求めているかを知る
いつも買うトイレットペーパーやシャンプーのメーカーや商品を決めている人は多くいらっしゃいます。
もちろん私もある程度は決めている。
なぜ決めているかと言えば、経験的にその商品が自分のニーズを満たすと知っているからです。
その商品を買えば、ある程度間違いなく自分の問題が解決され満ち足りると潜在意識にインプットされている。
トイレットペーパーやシャンプーに求めるものは、人によって随分違います。
他者が気に入っているトイレットペーパーやシャンプーを自分も気に入る訳ではない。
本当の意味で満ち足りるためには、自分はトイレットペーパーやシャンプーに「何を求めているのか」を明らかにしておく必要があるわけです。
同じように、本当に満ち足りて生きられるためには、
- 理想のパートナー
- 理想の仕事
- 理想の家
- 理想の収入
- 理想の車
こうしたものの中に、自分が本質的に何を求めているかを明らかにするプロセスが必要です。
特定の〇〇の中に見ている本質を炙り出す
理想の車としてレンジローバーを挙げている人がいるとします。
表面的には「レンジローバー」が欲しいと思っていますが、この人は別に「レンジローバー」そのものが欲しい訳ではないんですよね。
「レンジローバーという車を所有する」あるいは「レンジローバーという車を運転する」ことによって得られる(であろう)感情体験を求めている訳です。
または、「家族でキャンプに行くことが多いからそれ用の車に」と考えているかもしれない。
すると「レンジローバー」は目的というよりも、むしろ最終目的(家族でキャンプへ行く)を果たすための「手段の一つ」に過ぎないことになります。
今あなたが「手に入れたい」と思っている具体的なものを一つ思い浮かべてください。
例えば、
- B社でのクリエイティブ職
- 〇〇さんと付き合うこと
- 月収〇〇万円
- ▽▽でのディナーデート
- 特定の住居や車種
次に、「その中に自分が求めているものの本質」を見ていきます。
「B社でのクリエイティブ職」であれば、「ある程度自立性を認められ自由に仕事ができる環境」だったり、「多くの大手クライアントと仕事ができること」だったり、「高い収入」だったりするかもしれません。
つまり、「B社でのクリエイティブ職」を通して求めているものの本質は、
- 自立性をもって取り組める仕事
- ネームバリューのあるクライアントと仕事をして経験を積むこと
- 自分の経歴に箔をつけること
- 経済面で潤うこと
たまたまそれを一番効率良く満たせるように見えているのが「B社でのクリエイティブ職」ということ。
「B社の」という部分は代替が効くということです。
本当に求めるべきは、
- 自立性をもって取り組める仕事
- ネームバリューのあるクライアントと仕事をして経験を積むこと
- 自分の経歴に箔をつけること
- 経済面で潤うこと
という本質の部分です。
同様に、
- 〇〇さんと付き合うこと
- 月収〇〇万円
- ▽▽でのディナーデート
- 特定の住居や車種
という望みの奥には、自分が本質的に求めているものが別にあります。
その一つひとつを明らかにして、それらをダイレクトに求めること。
あらゆる可能性があるという事実を受け入れること。
それが「望む結果」を効果的に引き寄せる願いの放ち方です。
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執着は手放す
もしも「特定の〇〇」が気になりすぎて頭から離れない、ということであれば、それはエゴの執着の可能性が高いです。
本来、純粋な望みには「手放せない」という執着(粘着性)がありません。
冒頭の例を出せば、弁護士資格を得るための方法は無数にあるのだから、何もC大学に拘る理由はない訳です。
それでもなぜかC大学に固執してしまうのであれば、そこには見栄や癒されていない劣等感など何かしらの機能不全があるのです。
見栄を張るための望みや劣等感を補うための願望、あるいは「こんな自分では愛されない」といった不全感や不足感から生じる願いは、ことごとく人を不幸にします。
それは健全な願望ではなくて、痛みや心の穴から生じた「渇望」だからです。
渇望が生じたときに、海の水をいくらのんでも渇きが癒されることはありません。
インナーチャイルドの癒しに取り組み、心が健全に回復することを優先しましょう。
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