今の私は、世界中どこの国へ行っても逞しく生き抜いて行けるだけの力と自信があります。
今までの人生において、それだけの経験を積んで来た自負があります。
でも、最初からそういう人ではありませんでした。
子供の頃は、自宅から数10メートル離れたところにある駄菓子屋まで一人で行けませんでした。
その頃から一人で何でもできていた妹に笑われていたほどです。
「一人で何かをする」ことがどうしてもできず、どこへ行くにも母親を必要としていた子供でした。
それは、小学校高学年くらいまで続きました。
目次
アメリカで受けた洗礼
そんな私が二十歳でアメリカへ留学したときにお世話になったAご夫妻がいます。
1993年当時、お二人は式と披露宴は執り行ったものの、籍は入れていらっしゃらない事実婚のご夫婦でした。
ご主人は大企業の研究職で、会社経費でアメリカの大学院に留学中。
奥様は自費で当地の語学学校へ入学し、ビザを取得してご主人に帯同していらっしゃいました。
私がアメリカへ到着した直後には、日用品を買いそろえるためにショッピングモールへ連れて行ってくださったり、自宅へ招いて日本食を振舞ってくださったり、大変お世話になったものです。
アメリカへ渡って半年ほど経ったある日、事は起こりました。
買ったばかりの私のシボレーの中古車が、交差点のど真ん中で止まってしまうという事態が発生したのです。
後から判明したことですが、トランスミッションが死んでいた。
それが交差点のど真ん中で起こったわけですから、二十歳の私はあっという間にパニックに陥りました。
何とか車を路肩に寄せたところでエンジンはうんともすんとも言わなくなりました。
私の脳裏に閃いた案と言えば、道の横にあった宝石店の電話を借りて、Aご夫妻へ電話をすることくらい。
まだ携帯電話もインターネットも普及していない時代の話です。
電話に出たご主人は、ケラケラと笑いながら「参っちゃったねー」と一言。
笑いごとじゃないよ!
と思いながらも、藁をもすがる思いで「どうしたらいいんでしょう」と尋ねる私。
「ディーラーに連絡して整備工場の場所を聞いて、レッカー車を呼んで、そこまで車を引っ張るしかないね」と。
え、何ソレ、どうやってやるの??
さらなるパニックに陥る私。
宝石店のアメリカ人店員はあからさまに迷惑そうな顔をして私をちらちら見ているし、涙をこらえるのがやっとな状態。
何とかディーラーに電話して経緯を話し、レッカー車を呼ぶところまでやりました。
もちろんすべて英語です。
すると、しばらくしてAご夫妻が車で現場へやってきました。
「やぁ!見物しに来ましたよ!」
と。
ちょ、、、、見物って何?!
その言葉通り、Aご夫妻は路肩に並んで立って、ニコニコしながら見ているだけ。
手も口も一切出さない。
その横で、あちこちに電話をかけまくったり、到着したレッカー車に行先を伝えたり、必死の形相で対処する私。
そしてAご夫妻は、「何とでもなりますよ。バスもタクシーもありますから。健闘を祈ります!」
と言い残し、ご自身の車に乗って去っていきました。
この時は、「なんで助けてくれないの??」と、真剣に思いました。
しかし後から振り返ったとき、この経験が今の私という人を創る土台となったのでした。
体当たりの経験がすべて
最終的に整備工場まで車を運び、整備手配をし、タクシーを呼んでもらって家へ帰りついたときには、一日終わっていました。
しかし、この状況を一人で乗り切ったということが、二十歳の私に大きな自信をつけていました。
「何とか一人でやり遂げた、、、」
この実感を得ることが、人生ではものすごく大事。
こういう経験を積み重ねることで、自分の内面に揺るぎない自信と自負を育んでいくのです。
私はその後の人生で、
- イスラエル軍へ参加したり(軍服も着た)
- ナイル川をイカダで下っている最中に食中毒になったり
- エジプトの砂漠の中でバスがエンストして置き去りにされたり
- 全人生の所持金が数千円にまで減ったり
- 全人生がリセットされたり
数々の難局を迎えながらも、いつも事なきを得て生き延びてくることができました。
今となってはすべてがネタでしかありません。
それもこれも、「私なら何とでもできる」という底力というか、妙な自信や自負があるからだと思います。
もう数十メートル先の駄菓子屋を怖がっている小さな子供ではないのです。
突き放して見守る愛
私が40歳の時、小学校時代の同級生から連絡が来ました。
「今度、取引先のお嬢さんが香港で働くことになった。今まで一人暮らしをしたことがない子で。香港にいる君のことを紹介しておくから、少し気にかけてやってくれないかな」
お嬢さんは25歳になったばかり。
彼女が香港に来てからは、食事やアフタヌーンティーへ連れて行ったり、職場の悩みを聞いたりして、気にかけていました。
でも、彼女の問題には、一切手出しも口出しもしなかった。
Aご夫妻方式です。
- 銀行口座を開くのを手伝って欲しい
- 鍵を家の中においたまま締め出されてしまった
- 職場と契約のことで揉めている
- ルームメイトとの間で問題がある
こんな SOS が来る度に、私は「対処の仕方」だけ簡単に教えて、後は何もしませんでした。
面倒見が良いとは、相手の問題を自分が片づけてあげることではないんです。
そうではなく、相手の問題に手出しをしないこと。
何か致命的なことがあれば手を差し伸べるけれど、それ以外では放っておくこと。
自分でやらせること。
そうしないと、経験が彼女のものにならないからです。
そりゃもちろん、私が何から何までやってあげたら一番簡単です。
あっと言う間に問題は解決するでしょう。
でもそれじゃぁ意味がない。
彼女の人生は、彼女が生きなくてはならない。
いつも誰かが助けてくれる環境では、自分に力はつけられないのです。
私は自身の経験からそのことを知っていたので、あえて「何もしない」ことを実行していたわけです。
相手に愛を持って接することと、過保護にすることは別の問題です。
「助けない」という形の愛があることを、私はAご夫妻から学びました。
そして今、私と接する多くの若い世代の方をあえて「助けない」ことで、伝えられる何かがあると思っています。
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