「日本人は英語ができない」は本当か

20数年に渡る海外生活を終えて日本へ戻り、驚いたことはいくつもあります。

少しずつ、「私が見る日本」について書いています。

今回は、「「日本人は英語ができない」は本当か」というテーマで書いていきます。

「日本人は英語ができない」は嘘

私が子供の頃から、日本の中では「日本人は英語ができない」と言われてきました。ですが、私にとってそれは真実ではありません。

私は日本生まれの日本育ち、生粋の日本人ですが、47歳の今ではセミネイティブのレベルまで英語を扱えるようになりました。

私が初めて英語に触れたのは、中学校へ入学して英語の教科書を手に取ったときです。それまでは英語をまったく知りませんでした。しかも、入学直後にひどい風邪をひいて授業を休んでしまったため、最初から躓いてしまい最初のテストはさんざんな成績でした。

しかし、幼い頃から漠然と「海外へ行ってみたい」という希望を持っていた私は、2年生になったときに「海外文通」を始め、それをきっかけとして英語を勉強するようになったのでした。初めて英会話学校へ通ったのは高校1年生の秋。当時小さな町に一軒しかなかった英会話学校へ通い始めたのが最初でした。

そのようにして英語に取り組み始めた私でしたが、30年後には英語では一切困らないほどの力を持つに至ったのです。決して一晩でそうなったわけではなく、そこに至るまでに15年ほどは要したのですけれど。

人はみな違いますから、中には本当に語学が苦手な人やもともと関心がない人もいらっしゃるでしょう。ですが、日本人の中に広く共有されている「日本人は英語ができない」という認識は決して真実ではなく単なる思い込みに過ぎないと断言することができます。

なぜ日本人は英語ができないのか

ではなぜ日本人は英語ができないという現実があるのか?

それは、「日本人は英語ができない」という思い込みを長い間アファメートし続けた結果、本当にそのような現実になってしまったのだと思います。

恐らく、第二次世界大戦直後に日本に英語教育が導入されたときに、「できない」と思った日本人が多かったのではないかと推測します。それも、「ネイティブのアメリカ人のようには話せない」という意味であって、決して「英語ができない」という訳ではなかったのではないか、けれども生真面目な日本人はそのように思い込んでしまったのだと推測するのです。

それを半世紀以上に渡り国全体で唱え続けた結果、そのような現実が具現化したということだろうと、私は考えるのです。

アファメーションとは肯定的な文言を唱え続けることによって潜在意識をプログラミングする手法の一つですが、同じ手法でマイナス作用をもたらすことも当然できるわけです。

「日本人は英語できないからねー」

これを実感をこめて唱え続ければ、最初はそうではなかったとしても、いずれ「日本人は英語ができない」現実が具現化してしまいます。それほど潜在意識はパワフルなのです。

「日本人は英語できないからねー」

この一言で片づけて、トライしようともしない日本人が多いことに何度も驚いてきました。私にしてみると、それは「やらなくていいことの言い訳」にしか聞こえないのです。

中学高校で6年間英語を学べば、日常会話をこなせるくらいの語彙と基本的な文法はマスターできるのです。あとはそれを実践で使うだけですが、それすらも「できない」というか「やろうとしない」のは、能力やスキルの問題ではなく、メンタリティの問題なのです。

つまり、「日本人は英語できない」を免罪符として、最初からやろうとしていないだけ。

本当に、ただそれだけなのです。

完璧主義に傾きすぎる日本人

現に、アジアの他の国の人たちは、完璧ではないけれどもそこそこの英語は普通に話します。

その中で、日本人だけが特別言語能力に劣るなどはおかしな話です。他の国の人たちにはできているのですから、日本人だってやればできるはずなのです。

日本人の美徳の一つに真面目さと質の高いものを求める職人気質があります。

電車のダイヤが正確に動いていたり、一つのミスや間違いも許さない緻密さなどは、質の高い仕事をする上では役に立つ資質でしょう。

しかし、それが裏目に出てしまうと「非人間的な完璧主義」へ陥ってしまうというマイナス面を持ちます。

  • 失敗することは恥ずかしい
  • 英語はペラペラと上手に話さなくては
  • ブロークンな英語はみっともない
  • ミスをしてはいけない、間違えてはいけない

こんな気持ちや思い込みが先行してしまい、やってみようという気持ちがそもそも育たないのです。

「海外旅行へ行っても楽しめない」と仰る方たちが多いのですが、それは「場慣れ」しているかしていないかの問題なのです。初めての経験や場所で「気遅れ」してしまってタジタジしてしまうだけ。

慣れないうちは自意識が過剰気味で、無意識のうちに自分の話す英語(言葉)に完璧を求めて「できない」ことを恥じていたりします。相手の言っていることを「完璧に」理解しなくてはならないとか、「ペラペラとしゃべらなければならない」などという思い込みがあり、単に「その場の用が足りるだけの語学があれば良い」と言う基本的発想が出てこないのです。

「安全圏」から出る

何か新しいことを学ぶときは、痛みを感じたり困難を感じたりすることは避けては通れません。

自転車に乗れるようになりたければ最初は何度も転びますし、バランス感覚という未知の感覚を養う必要があります。それは決して楽しいだけの経験ではないでしょう。

けれども、すべての人間の中には「成長したい」という基本的欲求が備わっていますから、大変でもある日自転車に乗れるようになったら「嬉しい」と感じるものなのです。自転車に乗れるようになれば行動範囲が広がり、今までは行けなかった場所にも行けるようになるでしょう。

それが成長というものなのです。

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新しいものを習得する、チャレンジすることは、成長には欠かせない要素です。成長を拒んでいつまでも同じステージへ留まり続けられるほど、今の時代は甘くありません。

21世紀の今になっても「日本人は英語できない」で押し通そうとしている日本人のメンタリティに危機感を覚えているのは私だけではないと思います。

過去20年の間に、世界の中で日本が流れから取り残されて孤立へ向かっていることと、日本人の変化を拒む安全圏志向は無関係ではないと思います。

「日本人は英語できないから、それでいい」という安全圏を出て、思い込みや刷り込みを手放し、成長へ向けて変化していく時です。

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