「自信」とは「自分に対する信頼感の度合い」のことだという記事を書きました。
本来「自信」とは、生きる中で少しずつ育まれていくものです。
しかし日本においては自己否定的な子育てが行われるため、自己肯定感が低い人が多い。
あるいは、
- 立派な人でなければならない
- 人に誇れるモノがなければならない
- 資格やスキルが無くてはならない
- 学歴や資産や身長がなくてはならない
など、自分以外の「何か別物」になることで「自信を後付け」しようとしたり。
本来の自分の良さを認めもせず、世間一般の物差しで自分を測って明後日の方向へ向かって努力していても意味がありません。
そんな努力をいくら続けたところで、自信が持てるどころか、「本当の自分」との乖離は広がるばかり。
前の記事 で、私は「自分に自信があるか」と聞かれれば「ある」と答えると思う、と書きました。
それは何か人に誇れる実績があるとか、免状やトロフィーがあるとか、立派な職業に就いているという意味ではないです。
他者に向かって自分を説明したり、自分を証明したり、他者に何かを納得してもらったりする必要はもともとないんです。
そんなことと「自信」は関係ない。
ただ私は30年間、親兄弟親族のいない外国で、まがいなりにも一人で生きてきたという事実を持っています。
「自分一人ですべてをやってきた」という意味ではなく、時には他者の力を借りながら、今まで何とか事なきを得てやってきたという意味。
そのことが、私に密かな自負と自信を与えているのです。
私だったら、きっとこの先も何とかなる。
なんとかする。
そう思えることが「自信」。
自分を信頼する力。
でもそれは、自分の足でしっかりと歩いてきたという実感がなければ、持つことが難しい感覚かもしれません。
そこでこの記事では、自分に自信を持つためにできる具体的な事柄を書いていきたいと思います。
目次
他人軸を止める
日本の人たちにはとにかくコレ。
- 他者から評価されることを目的としない
- 他者に自分を説明するのを止める
- 他者と自分を比べない
私たち人間は、第一義的には「自分のため」に生きています。
自分がやりたいことをして、自分が幸せになるために生きている。
そこがしっかり満たせた後に、他者とシェアしていく。
自分の価値とは、自分が決めるものです。
他者に決めてもらったり評価してもらうものではありません。
自分が何かする・しないは自分が決める。
その積み重ねで自分軸が育っていきます。
自分でやってみる
何か問題が起こったり、困ったことが発生したときに、誰かに解決してもらえればこんなに楽なことはありません。
でも、できないなりにも自分の力でトライしてみることが人生ではすべて。
何事も、やってみなければできるようにはならないからです。
私の昔の知人に、海外在住歴30年という人がいました。
しかし彼女は、未だに一人で銀行で換金できないのです。
その手のことがあったら、いつも「誰かに頼んでやってもらってきた」からです。
30年も外国に暮らしていても、自分でできることが限りなく少ない。
誰かに寄りかかりながら生きることも、一つの道と言えば道です。
ですが、そのような在り方や生き方は自立的であるとは言えません。
そういう生き方をしている限り、本当の意味での自信は育まれません。
何事も自分でやってみる。
自分の足で歩いてみる。
それが自分に自信をつける第一歩です。
自分の能力を認める
誰にでもいくつかは秀でた能力があります。
しかし日本では、「自分なんて大したことない」と遜(へりくだ)ることが美徳とされる文化のため、「自分はこれが得意です」ときちんと言える人が少ないです。
「謙遜の美徳」がない国では、みな生き生きと自分が得意なことをして能力を開花させているのに。
日本では自分の能力を「なかったことに」している人が大勢いらっしゃるようにお見受けしています。
ナンセンスだと思う。
自分の能力を適切に認めることは、自分を生きていく上で絶対に必要です。
「俺ってすごいんだぜ!」と自惚れろ、という意味ではなくて。
そうではなく、自分は何がどれくらいできるのかを「適切に」知り、認め、能力を活かせる方向で環境を整えてあげること。
それは、自己実現を考える上で必須であるということなんです。
例えば、「問題解決力」は立派な能力です。
誰かからの指示を待って動くのではなく、自分で現状を分析して打開策を考案し、実践して問題を解決できる力があるのなら、まずはそれを認めること。
「いやいや私なんて、大したことありません」なんて言っている場合ではない。
「私は問題解決が得意です。任せてください」で、いいんです。
今までの人生を振り返り、自分が苦も無く自然とできてしまう事、楽しくできてしまうこと、ついやってしまうことなどはありませんか?
そこにヒントがあります。
例えば、私の得意なことの一つは「お喋り」です。
え?と思われるかも知れませんが、コミュニケーション能力も立派な能力です。
私はお喋りを通して相手の懐に深くに入り、心を開かせることが得意。
意識してやっているわけではなく、自然とできてしまうんです。
それから、深く鋭い洞察力。
これも私が生まれ持ったもので、とくに努力しなくてもできてしまうことです。
だから、そういう能力を活かしてお悩み相談をやっているわけです。
苦手なことはやらない
逆に、自分の苦手なことは極力やらないことが大切です。
例えば、私は数字に関わること全般がとても苦手です。
特に計算は苦手中の苦手。
そんな私が、経理や税務といった職業に就くことは誰にとっても悪夢でしかありません。
苦手なことを仕事にしながら幸せを実感することは無理です。
自信を育てるどころか、今まであった自信すらも失ってしまいかねません。
日本の人たちは「苦手なものでも努力して克服しなくては!」と言って生真面目に取り組んでは自分にダメ出しし、自分を責め、自己嫌悪に陥ります。
他の子と比較しながら育てられたり、親から「お前のそういう所はよくないから直せ」と言われて育った結果です。
「親の呪い」とは私は呼んでいますが、そんなことをする意味がないので、自分の苦手なことは他人に任せることを学びましょう。
もっと自分を大切にしましょう。
等身大の凸凹な自分を愛しましょう。
人と接することが苦手なら、接客業はやらないこと。
大勢でワイワイガヤガヤが苦手なら、大所帯の職場は避けること。
クリエイティブな仕事が好きなら、単純作業の仕事は避けること。
自分の「苦手」を徹底的に排除してあげることも、自信を育む上では必要であることを覚えておきましょう。
自分に合った場所へ行く
自分がのびのびと能力を発揮できる場を自分に与えて上げられることも、自信をつける上では重要なポイントです。
今あなたがいる環境は、あなたの能力を正当に評価してくれる場ですか?
もしもそれとは程遠い場所にいるのだとしたら、それはあなたが自分の能力を過小評価しているからです。
自分の能力を適切に認知して評価していれば、自分を不当に低く扱うような場所には気持ち悪くていられなくなります。
- 自分は何が得意で何が苦手か
- どんなことに「快」を感じて何を「不快」と感じるか
- 自分が思い切り快適に自分を発揮できるのはどんな場所なのか
- 自分はどんな価値を提供できるのか
- それに対する対価は正当か
- ウィンーウィンの関係を創れそうか
こういうことを精査した上で、自分を活かせる場を探し求めて行きましょう。
「能ある鷹は爪隠す」の真意
ここで少し横道へ逸れて、「能ある鷹は爪隠す」という言葉の真意に触れておきたいと思います。
この言葉は一般的に「能力のある人は無駄にそれをひけらかしたりしない」という意味で解釈されていると思います。
それはそれで別に間違いではない。
しかし私は、この言葉の真意はもっと深いと考えています。
世の中、とくに男性の社会はものすごく「嫉妬」が強いです。
皆が皆それぞれの能力を認め尊ぶ社会ならいいのですが、現状必ずしもそうではない。
特に男性は、自分より優れた他者に嫉妬し、悪くすればその人を陥れようと画策したり、立場を利用してその人を潰そうとしたりします。
これは妄想でもなんでもなく、世の中で広く行われていることです。
「能ある鷹は爪隠す」とは、無暗に他者の嫉妬を買って潰されないように、時と場合によっては自分の能力を上手に隠しなさいよ、という意味。
私はそのように捉えています。
ある意味「処世の智慧」ですね。
失敗を恐れない
私は、人生に「失敗」というものはないと思っています。
すべては経験。
ありとあらゆる経験は、データを得るための情報収集の場でしかありません。
結果が気に入らないとか、思った通りでなかったとしたら、プロセスを見直して今度は別のやり方を試してみたらいい。
何か一つのことが思い通りの結果にならなかったからと言って、それであなたがダメな人であるとか、能力が劣っているということにはまったくなりません。
例えば、未だに「離婚=失敗」だと思っている人たちもいるようです。
しかし、離婚経験者ならそれが自分の人生でいかに「必要な経験だった」か、わかりますよね?
その経験を経ることでしか得られない様々なことがあるわけです。
そしてそれらは人生の宝。
人生に失敗はない。
トライ&エラーで少しずつ良くなっていくのが人間だから。
自分で自分を支える
周りの人や他者が自分を支えてくれたり、励ましてくれたりするわけではありません。
もちろん、そういう人たちがいてくれれば心強いです。
だけど、自分が必要とするときに四六時中そういう人が見つかるわけではない。
自分のことは自分が支えます。
自分で自分を励まします。
自分を受け入れ、共感して寄り添い、決して見捨てず、自分の力になります。
それを実践できる人だけが、自分に対する信頼感を強めていくのです。
自分の品格を貶めるような行動は慎む
後で振り返って、自分の品格を貶めるような行動は厳に慎みましょう。
他者を利用したり裏切ったりするよりも、自分が裏切られる方がまだマシです。
自分は傷つくかもしれないけれど、自分の品格は落ちないからです。
逆に、利己的な理由で他者を利用したり裏切ったりすれば、自分の品格は落ちます。
そのようなことを続けながら、自分を信頼することは難しいです。
私にも覚えがあります。
他者にされたことが許せずに、手加減せずに相手に仕返しをしたことが何度かありました。
腹の虫がおさまらずにやったことですが、後で振り返ったときに、「自分で自分を貶めている」ことに気づいたのです。
これは大変に後味の悪いものです。
それ以来、自分の行動には今まで以上に注意を払うようになりました。
自分の良さや美しさをわかってくれる人と一緒に居る
あなたの良さや美しさを見抜いて、それを愛でてくれる人を見つけて一緒に居ましょう。
- 過集中でインテンスなところ
- 一つのことにハマりやすいところ
- 好きな食べ物を毎日食べても飽きないところ
- 自分に正直にしか生きられないところ
- 不器用なところ
そんなちょっと変な「あなたらしさ」を「素敵」と思ってくれる人は必ずいます。
あなたの素晴らしい個性を「ダメ出し」するような人からは離れましょう。
そういう人と一緒にいても、楽しくありません。
世の中はうまくできたもので、人にはそれぞれ「好み」というものがあります。
すべての人が同じものを愛でるわけではない。
私はチューリップやひまわりの花は好きですが、菊の花はあまり好きではありません。
好みじゃないんです。
同様に、私は破天荒で型破りな人が大好きだけど、平凡で平均的な人は苦手です。
好みの問題なんです。
自分の好みに合った人、自分が相手の好みにピッタリという関係は、相性がいいんです。
そういう人と一緒にいると、自信を育てるのに役立ちます。
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