「自分らしく」生きるというテーマのサイトを運営しているので、サイトの中で頻繁に使っている「個性」という言葉について一度しっかりと定義しておきたいと思います。
目次
勘違いされている「個性的」という言葉
日本の中、特に若い世代の方は、「奇抜」であることや「他と違う」であることが、「自分らしさ」や「個性」と思っている節があるように思います。
以前、街中で長い髪をドレッドにして迷彩柄のパンツを履いている若い男性を見かけました。
とても目立っていました。
そういうスタイルをすることが「個性的」だと思う人もいらっしゃるかもしれません。
でも、私にはなんだかその人が一生懸命「自分以外の誰か」になろうとしているようにしか見えなかったんです。
ドレッドヘアはもともと縮れ毛の始末に悩む黒人が髪を長く伸ばすために考案したスタイル。
固く腰がある髪質の日本人が真似るのは大変だろうと思いました。
日本人はもともと素のままでいたら全員同じに見えます。
同じ肌の色、瞳の色、髪の色。
だから、他と「差別化」を図りたかったら手っ取り早く自分の見た目(外見)を他と違う奇抜なものにするのがお手軽というわけ。
つまり、目立ちたい。
それが「個性的」だと捉えられているのではないかと思うのです。
ですが、それは私が考える「個性」ではありません。
本来の意味での「個性」とはもっと本質的なもの。
「個性」とはその個体特有の性質
「個性」とは、その個体固有の性質や特徴のことを指します。
例えば、私の生れつきの髪の色は黒で、瞳の色は濃い茶色です。
中肉のやややせ型で、肩が張っていて骨格がしっかりしている。
女性的というよりは中性的な体型。
それが「私」という個体が有している身体的特徴であり「個性」です。
私の身体的な性質や特徴:
- 女性
- 髪色は黒
- 瞳は茶色
- 肌の色はやや明るめのベージュ
- 身長159cm
- 肩が張っていて骨格がしっかりしている
- 中性的な体型
私の内面的な性質や特徴:
- 完全インドア派
- 猫派
- 手作業が大好き
- 根を詰めやすい
- 過集中
- 肩に力が入りやすい
- 日本よりも香港の方が「故郷」だと感じる
- 好きな食べ物は毎日食べる派
- 筋トレ以外の運動は苦手
- 音楽が好き
- 人の好き嫌いがややハッキリしている
- 中身はパンク
こうしたことが、私という人間の「個性」であると言えます。
「個性化」の意味
私が語る「個性化」とは、自分の本性に忠実に、それを貫いて生きていくことを指す言葉です。
「個性化」とは、つまり自分と他との「差別化」を指す言葉ですが、条件として「本当の自分を生きられている」必要があります。
誰かの真似ではなく。
自分の好き嫌いに正直に、自分だけの価値観を持ち、それを貫いて生きていく。
私が考える「個性」は、20代30代のうちは研ぎ澄まされません。
誰しもこれくらいの年齢帯は、まだ「自分探し」の最中です。
40を過ぎてようやく「自分という人」がわかり始め、それを極めていくうちに徐々に研ぎ澄まされていくものが「個性」だと思っています。
髪をブリーチしてカラーリングして、ピアスを沢山つけ、奇抜な服を着て、それが単なる子供っぽい反抗(世間や社会に対する反抗)である人は沢山います。
ファッションで表現している自分と中身がしっくりと一致していなければ、それは「個性」ではありません。
本当の意味での「個性」とは、生まれたままのありのままの自分を受け入れ、それを愛し、その自分を生きることです。
黒髪なら黒髪の自分を、背が低ければ背が低い自分を、鼻が大きければその鼻の自分を。
ありのままを受け入れそれを生きること。
それが私が考える「個性化」です。
凸凹や偏りを受け入れる
日本の人たちは「人並」とか「人と同じように」という意識がとても強く、「人」の内面に関しても、「できるだけ凸凹が少ないオールマイティにできる人」を目指そうとする傾向が強いです。
でも、もともと人間はそんな風にできていません。
できること、できないこと、得意なこと、苦手なことは人によってそれぞれ違うのだから、凸凹や偏りがあるのが当たり前なんです。
しかし日本では「それは良くないこと」「できるだけ直した方が良いこと」のように受け取られがちです。
そんな思い込みは手放してしまいましょう。
自分の個性、つまり、凸凹や偏りをありのままに認め受け入れ、その自分を愛し、それを貫く生き方をすることを考えなくてはいけません。
たとえば私はHSPなので、他の人が当たり前のように耐えられることに「耐えられない」ことが多々あります。
人の何倍も「エネルギー」を敏感に察知する人なので、テンションが高い場やエネルギーの滞りがある場に長くいることができません。
そういう場は「息が詰まる」とか「呼吸がしづらい」「肩が凝る」といった感覚で感知されます。
その特性が顕著に出るのは「職場」で、他の人なら「お金や生活のために」目を瞑ってやり過ごすような局面でも、私は不快感がマックスに達すれば辞めてしまいます。
そうしないと、自分の状態を良好に保てないからです。
40になるまで私はそんな自分を「社会人失格」だと思っていました。
なぜ他の人が普通にできることが自分にはできないのか。
でも、それが「私の個性」であることを認め受け入れてから、自然体で生きられるように変化しました。
他の人ができるからと言って自分もできるとは限らない。
むしろそうでないことの方が多い。
それはなんら問題ではない。
そういう考え方に自分を慣らしていったんです。
「個性」を活かす生き方を考える
自分の「個性」をよく知り、それを「どう活かして」生きていくかを考えることは、これからの時代は必須です。
世間一般とか流行りとか「〇〇受け」といった雑音は手放すことが必要です。
たとえば最近日本ではバンドカラーのシャツがすごく流行っていますね。
でも肩が張っていて首が長い私はバンドカラーが似合わない。
トロミ素材も似合わない。
私に一番しっくりと似合って着心地も快適なのは、ボートネックや丸首のカットソーやコットンやリネンなどの天然素材で張のある襟付きのシャツです。
こういう服を着ると、自分を「魅力的」にプロデュースできる。
それから、私のチャームポイントの一つは「体型」です。
スタイルが良いという意味ではなく、スレンダーで中性的な自分の体型が気に入っているんです。
だから、体型が崩れないよう普段から気を付けてジム通いを欠かしません。
そして、「ボディラインの美しさ」を最大限生かせるように、オーバーサイズの服は着ません。
「ボディライン」がチャームポイントなのに、それを隠すような服は私にとって意味がないからです。
能力やスキルの面で言えば、私がもっとも得意とする自己表現の方法は「書くこと」です。
言葉を巧に使って何かを表現することは、私に歓びと深さを与えてくれます。
だからこそ、スキルを伸ばすように試行錯誤と実践を重ねてきました。
一つのことにのめり込みやすい「過集中」や「根を詰めやすい性質」も、「物書き」という職業には役立つ資質なのです。
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