自分の望む現実や生活を「生み出す」ためには、まず「自分が何を望んでいるか」を明確に知る必要があります。
その際「理想を言語化」した後に、それをありありと脳裏に思い浮かべ、「感情体験(情動)」として「体感できる」ことが必要です。
なぜなら、潜在意識は「言葉」を理解しないから。
人間の脳と潜在意識は「感情体験(情動)」で指令を受け取ります。
だからまずは、しっかりと体感を得られるような「ビジョン」を脳内に構築し尽くすことが必須。
それができたら、後は生活を「心地良い」で埋め尽くしていくことです。
この記事では、「心地良さ」について少し掘り下げて書いてみたいと思います。
目次
「心地良さ」とは
心地良さとは、「自分の身体が快適だと感じること」を意味します。
「自分の五感に「快」を感じる」こと。
- 使い心地が良い
- 書き心地が良い
- 着心地が良い
- 履き心地が良い
- 居心地が良い
- 心地ち良い香り
さらに深く掘り下げて言葉を変えて言えば、自分の上に誰も何も置かないということ。
例えば、古い時代には「オシャレは我慢」なんていう価値観がありました。
足に合わない(痛みがある)靴を我慢して履いていたり、身体に合わない服、着ると寒くなる服、暑い服を我慢して着ていた。
「オシャレだから」という理由で、自分の身体の「快適さ」を後回しにして「見栄」を優先していたわけです。
つまり、エゴを自分の上に置いてしまっている状態。
それをすれば確かに「エゴ」は満たされるかもしれません。
でも、本当の自分は不満が溜まっていきます。
自分の内面が、「エゴ」と「本当の自分」に分裂して喧嘩している状態。
これでは人生がうまくいきません。
でもエゴは別に悪いものではありません。
エゴは3次元世界を生きるためのアヴァター人格。
ここまで生きてくる中で、エゴなりに「どうしたらより(表面的に)愛されるか」「どうしたらより(表面的に)受け入れてもらえるか」を考えて身に着けた処世術があるのです。
ただ、それが「本当の自分」の求めるものと一致していないだけ。
着心地が良い服、履き心地が良い靴、寒い時には暖かい服を、暑い時には涼しい服を着ていれば、自分は快適です。
だから自分はご機嫌・幸せになる。
自分の生活を「心地よい」で満たしていくと、潜在意識がパワフルに活性化され、望む現実をクリエイトする力が発動します。
居心地が悪い場所へは行かない
自分が快適だと感じない、居心地が悪い、息が詰まる、呼吸がしづらいと感じる場所は、自分とは合わない場所です。
強いストレスを感じる環境も、自分に合っているとは言えません。
身体が発しているメッセージを翻訳すれば、「ここに長くいると死んでしまう」です。
往々にして私たちは、無意識の我慢を続けてしまいます。
理由は、「我慢しないと生きていけない」と刷り込まれているから。
でも本当にそうでしょうか?
最終的に心身の健康を損なってしまうような劣悪な環境で我慢しないと、私たちは生きていけないのでしょうか?
そう感じてしまうのは、幼少期に家庭内でそういう経験をしたから。
あなたが幼少期を過ごした家庭が「ブラックな環境」だったからです。
それがデフォルト・モードとして潜在意識に組み込まれているので、「快適な環境」に違和感を覚えてしまうだけ。
そんなのは「ぬるま湯」だと感じてしまうだけ。
人生がハードモードな設定がデフォルトになっているだけなんです。
でも、本来人生は快適であっていいんです。
何かを我慢したり自分を削ったりしなくても、ちゃんと生きていける。
快適で楽しい環境で生きていける。
そのような新しい信念をインプットして、そういう環境を求めるべきです。
時間がかかる
一つだけ追記しておきます。
新しい信念は、一度だけインプットすれば良いという訳ではありません。
お若い方ならともかく、30代以上の人であれば、自分が今まで信じてきたことを変えることは並大抵ではない。
私自身、古い信念を手放して新しい信念を採用してアクティベートできるまでに、4~5年という時間をかけてきました。
信念と言っても一つや二つではありません。
沢山あります。
それらは日々の生活の中で、繰り返しインプットされる必要があるものです。
巷では新しい信念をインプットする作業のことをアファメーションと呼んだりします。
使い心地が良いものに囲まれる生活
私は、普段の生活の中で、特に肌に直に触れるものの触り心地や使い心地には拘ります。
- タオル
- シーツ
- ブランケット
- 下着
- シャンプー・トリートメント
- ボディソープ
- ボディバター
- トゥースペースト
これらは肌や身体でダイレクトに「体感」するために、使い心地が悪ければ、無意識のうちに「不快感」が潜在意識へ送られてしまうから。
使っているボディソープが肌に合わなければ肌は乾燥したりトラブルを起こしたりします。
シャンプーが合わなければ、髪の触り心地や扱いが悪くなります。
一方、洗った手を毎回拭くためのタオルの使い心地がよければ、使うたびに「快」の感覚が潜在意識に送られます。
毎晩眠るシーツが肌に触れる感覚が「快」なら、寝ている間も目が覚めた瞬間も、「快」の感覚が潜在意識へ送られます。
潜在意識は私たちが「快」の状態にないと現実をうまく生み出せなくなります。
ですから、これは極めて大切なことです。
人間関係の心地良さ
どんな人たちと共に時間を過ごすかは、とても大事です。
あなたの周りには、今どんな人たちが集まっていますか?
家庭でも職場でもプライベートでも。
周囲の人たちを観察してみてください。
彼らはあなたが一緒にいてホッと安心する人たちでしょうか。
楽しいと感じる人たちでしょうか。
それともストレスを感じる人たちでしょうか。
もしもストレスの方を多く感じるというのでれば、あなたの中にまだ統合できていない断片が多くあるということ。
そして「我慢癖」が抜けていないということ。
人はどうしても、幼少期に親と体験した感情体験を、その後の人生でも他者と繰り返していきます。
親に対して満たされない愛情飢餓を抱えている人は、自分の中にある愛情飢餓を癒して満たさない限り、周囲の他者から愛情を得ようと躍起になってしまいます。
結果的に周囲の人はあなたを疎ましがって距離を置かれてしまう。
この繰り返し。
もしもまだインナーチャイルドがしっかりと癒えていなければ、まずはそこに取り掛かりましょう。
その上で、「快適に共に居られる」と感じる他者との距離感(境界線)を測っていくのです。
他者との距離感は、近すぎても遠すぎても「不快」に感じるものです。
自分の感覚を研ぎ澄まし、欲求を満たす方向で動いていきましょう。
日本の人たちは伝統的に義理人情を重んじる文化があって、かつては仲が良かったけれど、もう波長が合わなくなってしまった人との縁を解消することに抵抗がある人が多いです。
「人間関係が長い=良い」という価値観の刷り込みがあるからですね。
でも少し考えてみてください。
小学校時代から変わらず今でもつるんでいる人たちが、何人いますか?
私はゼロです(笑)。
私の場合、生まれ育った場所から何度も引っ越しや移動をしているし、過ごして来た場所が世界5か国という事情がある。
そのため、たとえ小学生時代に良い時間を共に過ごした友人だったとしても、その後岐路が違ってしまったことはある意味自然だからです。
人間は常に変化・進化しています。
それと共に付き合う人たちも変わっていくのが自然。
その在り方を受け入れ、もはや合わなくなった人たちは付き合わずにいられる選択をできるようになりましょう。
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