特定の物や人や仕事や場所に執着してしまうことがあります。
執着って何だろう?
執着とは、ソレが手に入らないと幸せになれない、あるいは生きていけないという「思い込み」が生み出す心理的な重荷のこと。
私にとって、執着は心の重荷です。
何か一つのことに心が囚われてしまって、苦しくなる。
心が自由じゃない。
軽やかじゃない。
ハッピーじゃない。
そういう状態。
だから、執着があれば手放したいと思う。
この記事では、胸に心理的な重荷を抱え込んで生きるのがシンドイというときに、どうすれば楽に執着を手放せるかについて書いてみようと思います。
目次
求めているモノの本質を見抜くこと
例えば、「もっと親から愛されたかった」と願うことは執着の一種です。
もう済んでしまったことは取返しがつかない。
「愛されなかった」という事実は変えられない。
でも「もしも○○だったら、今▽▽だったに違いない」的な仮説に囚われて、苦しんでしまう。
執着。
ここで、自分は一体「何を」本質的に求めているのかを見抜きさえしてしまえば、突破口は見えるんです。
無条件に受け入れてもらいたい、愛してもらいたい。
自分が本質的に求めているモノは、恐らくコレでしょう。
別の例を出します。
私は長らく、長年暮らした香港に戻りたいと願っていました。
失った香港での生活に執着していたわけです。
でも近年その執着が薄れてきたことに気づき、今ではほとんど執着がありません。
自分が求めていたモノの本質がわかったからです。
香港から大勢の友人や大切な人たちが次々と脱出して他国へ移住してしまった今、私にとって香港はもうそれほど魅力的な場所ではなくなってしまいました。
私が求めていたモノは、結局「仲間や大切な人たちと過ごすこと」。
そこが「自分の居場所だと感じられること」だったわけです。
たまたま「香港」という場所が入れ物としてその役割を担っていただけ。
ここまでわかってしまえば、後は簡単。
本質的に求めるモノを自分の内面に見出す
私たちが本質的に求めるモノは、すべて自分の中にすでにあります。
ただ、長いこと見失ってしまっていたので、外の世界に意識が向かって、ソレを探し求めているだけ。
だからこそ、外の世界でソレを失うという状況が起ち起こるわけです。
それもこれも、私たちの意識を内面に引き戻すために。
「幸せの青い鳥」という話があります。
あれは、外の世界をいくら探し求めても、本当の幸せは見つけられない、なぜなら、幸せはいつも自分の中にしか見いだせないから、というメタファーです。
自分が求めているモノはすべて、自分の中にある。
自分自身を無条件に愛して受け入れられるのは、自分だけ。
自分自身の拠り所になれるのは、自分だけ。
自分自身に心の通い合いや絆を与えてあげられるのは、自分だけ。
自分の内面にコレらを見出せない限り、外の世界にいくらソレを探し求めても、いずれは失うことになる。
意識を自分の内面に向けるために。
自分と繋がるために。
すべての出来事は、自分自身と再び繋がりを取り戻すために起こっている。
これは人生の真理の一つです。
内面が時間差で外側に反映される
自分が執着しているモノの本質を見抜き、ソレを自分の内面に見出し育んだ時に。
外の世界の何かや誰かに対する執着は霧消します。
もう意味がないからです。
そうなったときに自然と、今度は外の世界に、自分が求めていた誰かや何かが現れ始めます。
なぜなら、外の世界は常に自分の内面世界を正確に反映している鏡に過ぎないから。
自分の内面に揺るぎない愛や絆や繋がりや拠り所があれば、それが時間差で外の世界に具現化してきます。
本当に必要なモノはすべてある
これを見抜いたときに、心の重荷が下りて、軽やかになることを感じませんか。
私はこれですごく楽になりました。
自分以外の何かや誰かに心が囚われている状態は苦しい。
自由じゃない。
でも、自分の中にすべてを見出していく作業は、私に自由を与えてくれる。
何にも誰にも依存せずに、囚われずに、本当の自分のままでいられる。
私にとって、これ以上の解放は他にありません。
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