クレーマーとは、サービスを提供する側に、何らかの「不満」(クレーム)を訴えてくる人のことです。大まかに分けて、以下の二つのタイプに分かれます。
- 店側に明らかな落ち度があり何等かの被害にあって困っている人が、正当な賠償を求めてクレームをつけるケース
- 店側に何ら落ち度がないにも関わらず、クレームをつける権利があると思い込んで、不当な賠償請求を行っているケース
前者に関しては言うまでもなく、店側がしっかり対応する必要がある案件です。
例えば、食堂で食事をしたことが原因で食中毒になったとか、店で買ったコーヒーメーカーが最初から破損していて使えない、あるいは請求書に身に覚えのない料金が加算されている等のケースです。
こうしたケースは店側の迅速かつ誠実な対応が求められます。
難癖や言いがかり

しかし、後者のケースは、クレーム内容に「実態がない」ことが多いです。
例えば、レストランでスパゲッティカルボナーラを頼んだら、想像していたものとは違う料理が出てきた。「こんなカルボナーラは邪道、カルボナーラはこうであるべき」と店側に文句を言うのは、根拠も正当性もない単なる言いがかりや難癖です。
どうしてこのようなクレームをつけるのかと言えば、客側に「カルボナーラとはこうであるべき」という強固な思い込みと、「自分はそのカルボナーラを受け取れるべき」という前提があるからです。
そして、その条件を満たさない店側に落ち度があると思い込んでいます。客側は無自覚ですが、ただ単に店側に絡みたいだけ。自分の感情処理をするために、無意識のうちに他者を利用しようとしているのです。
店側は、自分たちが「これぞカルボナーラ」と考えるものを提供しています。それが一人のお客さんのイメージに合わないからといって、店側が謝罪する必要はそもそもありません。店側は客側の特定の期待に沿う義務などは負っていないからです。
もちろん、期待に沿えないことがあれば残念ではあるでしょう。しかし現実問題として、すべてのお客さんの期待に沿うサービスを提供することなど不可能です。規模の小さいビジネスであればあるほど、限定的なサービスしか提供できないものです。
そして客側にはサービスを利用しない自由が与えられています。
不当感はインナーチャイルドの傷

クレーマーが抱いている「不当感」は、店側の問題に起因するものではなく、本人のインナーチャイルドの傷によるものがほとんどです。
本当に必要なことは店側に対応を求めること(責任を転嫁すること)ではなく、自分のインナーチャイルドの傷を特定して癒すことです。一人でできない場合は、心理セラピストの手を借りるとよいでしょう。
悪質なクレームに対して店側が謝罪する必要はありませんし、必要であれば取引を断って問題ありません。日本では「契約自由」の原則が認められているのです。しかし日本文化特有の「客の方が立場が上」という価値観があるため、サービス提供側が遜りすぎてしまうのです。
サービス提供側は客側の感情のはけ口ではありません。客側のインナーチャイルドの「痛み」や「トラウマ」のケアをする義務などはそもそも負っていませんし、負ってはならないのです。
その辺りの分別を持たず子供っぽい要求をしてしまう客は断らなくてはなりません。
愛ある男性性とは
健全な男性性を発揮して、毅然とした態度で客側に対して「そんなことを言ってもらっては困ります」と言えることは必要です。そうでなければ、相手はいつまで経っても成長する機会を持てません。子供を育てるときに、何でも子供の言うがままを受け入れるわけにはいかないことと同じ道理です。
自分の思い通りにいかないときに「感情の痛み」を他者へぶつけてしまうのは、人間的な未熟さのサインです。自分の痛み(感情)は自分で受け止め処理できることを学ぶことは、人間として不可避の成長課題の一つなのです。
客側の言い分を何でもかんでも傾聴し、遜って対応することは優しさではなく優柔不断です。本当に愛がある人であれば、突き放すところは突き放すだけの分別を持っているものです。
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承認欲求の奴隷にならないこと
日本は極度に共依存的な文化で、クレーマー(インナーチャイルド)を増長させるという結果になっています。背骨の通った父性を体現できる人が少なく、相手を怒らせないようにと相手に合わせてしまうのです。
他者を喜ばせたい、満足させたいという承認欲求の奴隷になることなく、水平で対等なウィン―ウィンの関係を満たせる相手だけを厳選して取引を行う事がますます重要になってきています。
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