世の中にあるいわゆる「教育」は、真の意味での教育ではありません。
そうではなく、人間を「画一化」するための「洗脳」。
学校で行われる「教育」も、日本の企業の中で行われている「教育」も、真の意味での教育ではあり得ず、単なる「洗脳」。
このことに関し、60年代にアメリカで活躍していたピンク・フロイドというバンドが、ある楽曲の中で痛烈に批判しました。
「子供に「教育」なんか必要ない。人間は部品ではない。人間を画一化することを即刻やめよ」
この風刺的な楽曲は、当時世界でスマッシュ・ヒットとなりました。
日本では60年代に学生運動が起こり、世の中の流れに疑問や反発を覚える若者が徹底的な抵抗を試みましたが、結果的に鎮圧されました。
そして、その結果が今の世の中です。
「教育」とは
私が考える本当の意味での教育とは:
- 一人ひとりのポテンシャルを見抜き
- その人が一番その人らしく輝けるように
- 必要な知識を与え
- 方向性を指し示し
- 必要であれば相談に乗り
- 支援やサポートを与え
- 環境を整えてあげる
こういう一連のことです。
何が「正しい・間違い」なのかを教えるのではなく、一人ひとりに必要なことを見抜き、ポテンシャルを伸ばすように関われることが真の教育の神髄です。
ヨーロッパや北米では、こういう教育システムがほぼ実現しています。
しかし日本において、そんなことは夢のまた夢。
これを現実レベルで体現できている人は、日本にはほとんどいらっしゃいません。
もしいらっしゃるとすれば、その人こそ「真の教育者」です。
私は幸いなことに、何人か、本当の意味で教育的な方たちと人生の中で出会うことができました。
メンターを持つことの重要性を理解している日本人は少ないです。
しかし、人生を成功裏に生きたいのであれば、適切なメンターを持つことは必須であると、私は考えます。
本来であれば父親がその役割を果たすはずですが、現実問題としてそうできないケースの方が多いでしょう。
私の場合は、20代で出会った日本のとある大学の先生がメンターでしたし、その後も必要なメンターに出会うことができました。
特に、以前は眠っていた私のライトワーカーとしての資質を瞬時に見抜き、ご自身の「仲間」であると認識し、そこを伸ばすように私と関わって下さった日本人の S 氏には、深く感謝しています。
彼のサポートを得て、私は自己否定と自己嫌悪から脱し、自己統合を進め、今の私になることができた。
教育者になることの難しさは、資質として「愛」を必要とすることです。
エゴがない状態で相手と関われるかどうか。
あなたを自分の好み通りに創り変えようとせず、思い通りに動かそうとせず、あなたの意志と自由を尊重し、あなたの幸せを願った関わり方ができるかどうか。
こういう人が、本当にあなたのことを思っている(愛している)人です。
しかし現実的には、エゴだけで相手と関わっている人ばかり。
相手を自分の好み通りに変えようと躍起になり、自分の思い通りに動かそうとし、相手の意志と自由を尊重せずに束縛し、自分が満足するために相手を利用するばかり。
ご自身の親子関係、友人関係、恋愛関係を振り返って、お心辺りはありませんか?
「愛」が無い人に、真の教育はできません。
そして「愛」とは、この世の中においてあり難い(みつけるのが難しい)資質なのです。
私自身は、「自分が好きな人」を愛することはできます。
でも、とてもじゃないけど「すべての人」を愛することはできない。
それができるのは、マザーテレサ級の愛を持った人だけ。
私が「好き」と感じる相手はだいたい100人に一人いるかいないかなんです。
「お金持ち」には真の教育者が多い
話は変わりますが、香港やシンガポールには大金持ちが沢山いらっしゃいます。
持ち家やランボルギーニやフェラーリを数台所有しているような人たち。
日本とは税制がまったく違うので、先祖代々引き継いでいる資産家が多いからです。
彼らは皆一様に、何かしらの社会的活動を行っています。
私のかつての義祖父は中国本土から香港へ移り、私財を投じて「問屋街」を創りました。
産業の土台は「問屋」が担っている、彼らが商売をしやすい場所を提供したい、という思いからだそうです。
私が知る香港の資産家は一様に言います。
「社会に貢献することは、資産を持つ者の責務。資産を持たない人にはできないことだから。私たちは、先祖から資産を引き継いだ。それを社会に還元し未来へつなぐことは、私たちの責任であり義務である」
日本の人たちはお金持ちを嫌いますが、私はお金持ちが嫌いではありません。
彼らが実際に行っていることを、近い場所から見ていた経験があるからです。
お金持ちには真の教育者が多い。
これは私が観ている事実です。
マザーテレサには幾人か、著名な資産家のパトロンがついていたことはよく知られています。
慈善活動は、資金がなければ立ち行かないからです。
修道院や孤児院を運営するにも、莫大な資金がかかります。
慈善活動を支えているのはお金なんです。
逆に、お金に余裕がなく将来への不安と心配でいっぱいな人ほど、他者を「洗脳」しようとする傾向が強いです。
自分の中に解決できない怖れ(心配や不安)があるので、それを補填するために、他者を思い通りに動かそうとするきらいがある。
そうしてかりそめのパワーを得ることで、自分の怖れを抑圧するわけです。
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