一期一会とは、毎日会えると思っている相手とも、「今」が最後になるかもしれない。
だから、一つひとつの機会を大切にしなければならない、という意味の言葉です。
私の50年の人生は、そういうことばかりでした。
かつてはあれほど毎日会ってすべてを語り合っていた相手でも。
今では、どこでどうしているのかすら、関心がない。
人生とはそういうもの。
目次
ウォンド
以前、私には10歳年の離れた友人が居ました。
韓国系ドイツ人のウォンド。
まだ若かった彼は、いつもタバコを買うお金がなく、ときどき私が買ってあげていた。
その時も、コーヒーを買うついでに一箱タバコを買って、ウォンドに渡しました。
何気ない日常の一コマ。
その次の週、ウォンドは亡くなりました。
寝ている間に癲癇の発作が起こったのでした。
25歳でした。
ジョン
イギリス人のジョンは、私よりも40歳年が上。
親しい友人でした。
私たちの結婚の公証人になってくれた人。
職業はトランぺッター。
ウェディング・パーティーに生バンドを入れたいと考えていた私は、ジョンに相談を持ち掛けました。
香港のミュージシャンの中で、ジョンは古株だったからです。
「妙案がある」
彼は言いました。
「ピアニストを頼んだらどうだ。紹介できるよ」
実際は、当日ジョンが自分のトランペットも持参して、ピアニストとジョンのコラボとなりました。
2012年のある日、私は、香港の上環を回って路上猫の餌やりしていました。
ボランティアでNPOを起ち上げていたのです。
ふと視線を感じて顔をあげると、少し離れたところにジョンが立って、こちらを見ていました。
右手にトランペットを下げている。
餌やりの手を休めて、私は声をかけました。
「Hi, John, you’re playing tonight? ハイ、ジョン。今日は演るの?」
「Yup. At the Grapper’s. あぁ。グラッパーズだ」
これが、ジョンと私の最後の会話となりました。
それからお互いに忙しく、会う機会もなかった。
2013年にジョンは亡くなりました。
プレゼンス
今の生活が、これからも続くなんて単なる幻想にすぎません。
今目の前に居る相手と明日も会えると思うのも、幻想。
本当は、常に、「今この瞬間」しか存在していない。
それが、この世に、実際に存在しているすべて。
だからこそ、「今」を精一杯に生きる。
「明日」とか、「いつか」なんて存在すらしていないのだから。
クローズドの情報や個別セッションの割引情報などは 無料メルマガ 内でお知らせします。
© 当サイトの文章およびロゴや商標の著作権は当サイトが所有しています。許可なく無断転載することを固く禁じます。