私たち人間にとって、この世を生きて行く上で絶対必要な力は、いざという時に自分で自分を守れる力ではないかと思います。
別に、何か特別な危機的な状況がなかったとしても:
- 自分の身体を適切にケアする
- 危険な場所や人には近づかないようにする
- 有毒な人や団体から自分を守る
- 自分の権利や境界線が侵害されたときに、健全な怒りを表して相手を追い払うことが出来る
- 自分と利害が対立する相手が現れた時に、自分の利害を守れるだけの知識と語彙を持っている
- 自分が必要とする支援やサポートを得る力がある
別の言葉で言えばしっかりとバウンダリー(境界線)を引く力があるということ。
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目次
バウンダリー(境界線)とは
バウンダリー(境界線)とは、自分と他者をしっかりと区別し、安心・安全に関われるための「適切な距離感」のことです。
ここまではOK だけど、ここからは NG という、意識上の垣根のようなものです。
境界線意識のない日本人
日本人には境界線の意識が著しく欠落しています。
- 自分の身体や容姿に関してアレコレ発言する人
- 自分の持ち物や着ている物をけなしたりケチをつけたりする人
- 頼んでもいないのにアドバイスをしてくる人
- 頼んでもいないのに「教えて」くれる人
- 自分のセクシュアリティを批判する人
- 自分のライフスタイルを批判する人
- 大っぴらに自分の悪口を言う人
- 自分の権利を侵害してくる人
- 大勢の前で自分に恥をかかせる人
- 自分の身体に許可なく触ってくる人
- 自分の持ち物に許可なく触ってくる人
境界線が明確になっている人であれば、上に挙げたような言動をする人にはきちんと No. が言えるものです。
そして、こういうことをしてくる人とは付き合わないだけの分別を持っています。
「あなたは少し太り気味だから、ダイエットした方がいいんじゃないの?」などと自分の身体についてネガティブな発言をする相手に対し、「そんなことを仰らないでください」と言える人が大人。
さもなければ、この人とは付き合わないと決めて実行できることが大人なのです。
そのどちらもすることなく、ただ表面上を取り繕って笑顔や冗談でやり過ごしていたり、相手の顔色を伺って迎合したりする人は、健全な男性性が育っていない未熟な人です。
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未熟さが残る日本文化
日本では、感情や気持ちはぐっとこらえて、表面は良い関係を保てる人が大人であるという認識が広く共有されているように思います。
嫌なことを言ってくる相手でも笑顔でかわし、やり過ごせる人が大人という認識です。
けれども、それは必ずしも真実ではありません。
それどころか、発達段階が進んでいる人は自分の感情や気持ちをちゃんと尊重して表現でき、毅然とした態度で相手と対峙し、自分の尊厳と境界線を守ることができるものです。
事なかれ主義は未熟さの表れ
- 波風を立てたくない
- 角を立てたくない
- 争いたくない
- 衝突したくない
「事なかれ主義」は子供の処し方です。
本当に自分を尊重して大切にできる人であれば、自分の尊厳を損なうような言動をする相手に迎合したり容認したりすることはありません。
それでこそ本物の自尊心が育まれるというものです。
自尊心とは、自分を尊ぶ心のことです。
自分をしっかり守るために、自分を害する相手にハッキリとモノを言ったり、不快感を示すことは必要な力です。
失礼なことではありません。
むしろ失礼・無礼なのは、こちらの境界線を平然と侵害している相手の方です。
境界線を越えて自分を侵害してくる相手に対して毅然とした態度を取れない、しっかりとした物言いができない、離れることもできないのであれば、自分が相手に依存している部分があるということです。
屈折して抑圧的な人が多い日本
日本人は本音と建て前を使い分け、表では涼しい顔をしていても、実際にはとてつもない量の鬱憤を抱えている人がほとんどです。
溜まりに溜まった鬱憤は体内に蓄積し、はけ口を求め続けます。
アングラ、各種依存症(酒、たばこ、スイーツ、ギャンブル、セックスや恋愛等)、ゲームやビデオなどのバーチャルリアリティ、スピリチュアルを始めとした現実逃避などへ逃げ込み、3D世界はそうした産業で経済を回しているのが実情です。
日本の自殺率の高さは、日本人が「建て前」を大切にして本音で生きようとしないこと、感情や気持ちを否定した抑圧的な人が多いことと決して無関係ではないでしょう。
私は、日本の人たちがもっと境界線の意識を明確にもち、自分のことは自分で守れるだけの健全な男性性を身に着ければ、鬱やその他の病気で苦しむ人は少なくなると考えています。
自分の感情や気持ちに正直になれない、相手にハッキリとモノを言えない、自分の尊厳を守ることができないことが、日本人がかくも抑圧的で鬱屈した国民となっている要因の一つだと考えるからです。
何も言わずに自分を犠牲にして我慢し、相手に不快感を与えないことが素晴らしいのではありません。それは自分自身に対する冒涜です。
そうではなく、自分を冒涜してくる相手に対しては毅然とした態度で No. を言い渡せるように、成長する必要があるのです。
この認識を持たない限り、日本人の性質は変わらないと思います。
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