【保存版】社会に適応する必要はない

It is no measure of health to be well adjusted to a profoundly sick society.

社会に適応できることが 健全であるとは限らない  なぜなら 社会自体が深刻に病んでいるから

ジッドゥ・クリシュナムルティ

ジッドゥ・クリシュナムルティのこの言葉は、真理を捉えていると思います。

人類の歴史上、ありのままで自然な人間の在り方は、絶えず否定されつづけてきました。

ヨーロッパの美術館や博物館の展示品を見見ると、19世紀頃までの人類がどれほど野蛮だったのかがよくわかります。

人権なんてまったくなく、権力者の思うままに殺戮や支配が繰り広げられてきた様が描かれています。

中には、宗教を変えなかったことを理由に、煮えたぎる油の中に入れられて拷問された少年の像、とかが展示されていたりする。

そのような非人間的な蛮行が、人類の歴史上ずっと行われて来たわけです。

関連記事:

社会はまともではあり得ない

私たちの「社会」は決して「まとも」でも「正しく」もありません。

日本は「アダルト・チルドレン大国」と呼ばれるように、国民のほとんどが、内面が子供のまま大人になってしまった「子供っぽい」人たちが創っている国です。

子供っぽい人たちが政治を行い、子供っぽい人たちが集まって企業を創り、子供っぽい親が子どもを支配しながら子育てをしている国です。

そんな社会がまともな訳がないんです。

日本特有の文化

それぞれの国には特有の文化があります。

その特殊性は、中にいる人にはわかりません。

日本は歴史的にとても閉鎖的な文化を形成してきたので、「世間の目を気にする」とか「人目を気にする」人が多い実態があります。

完全に他人軸文化なんです。

「世間」「社会」はとても病んでいるのだけれど、それが求める基準に自分を合わせないと受け入れてもらえない、生き延びられないと、幼少期から刷り込まれて育っているわけです。

生きていくためには、嫌なことでも理不尽なことでも我慢して働かなくてはならない。

どれほど病んだ組織でも、長い物には巻かれるもの。

コレはコレ、ソレはソレ。

両者の辻褄が合わなくても、見て見ぬフリをするもの。

それが大人。

下を見ることで自分の不満を言う事を封じ込められ、数々の理不尽さに対するモヤモヤを抱えながらも、騙し騙し生きるしかない。

古い時代はそういう価値観が主流でした。

それは、19世紀までヨーロッパの人たちがやってきたことと、本質的にまったく同じことです。

関連記事:

膿だし(生み出し)現象

今は、古い価値観が崩れ、新しい価値観が生まれつつある過渡期です。

今までの古い価値観はもう通用しなくなっているが、かと言って「コレが新しい時代の正しい価値観です」というものはない。

今までの時代は、誰か一人リーダーのような人がいるか、あるいは政府や世間や社会などに合わせることで処世を図ることが「正しい」ことでした。

これからは、私たち一人ひとりが、自分の内面の軸に従って「個」として生きていく時代です。

関連記事:

感情のデトックスを行う

最近、自分の中からモヤモヤした苛立ちや怒りが湧き上がって来てどうしようもないという人たちが増えています。

それは、今まで世間や社会といった圧から抑圧されてきた「本当の自分」から発せられる感情です。

まずは、自分の不満や怒りは健全なものであることを認めることが必要です。

そして、どうしたらより満たされて生きることができるようになるかを、真剣に考えなくてはなりません

関連記事:

私たちは、自分が満足だと感じられる環境で暮らす権利があります。

本当は足りない収入でも感謝しろと強要されて、それに甘んじていなければいけない理由はどこにもありません。

私たちはもっと真っすぐに自分の望むものを取りに行かなくてはなりません

その勇気と行動力こそが、今の時代に必要な要素なのです。

関連記事:

少数ではあっても、世の中には健全な人たちもいます。

養育者から尊重されて無条件の愛を注がれながら育ち、生まれながらにして自分を大切にすることを知っている人たちです。

彼らは、病んだ人や組織には最初から近づこうとしません。

自分を愛することを自然と知っていますから、おかしな職場や人間関係に我慢せず、さっさと去っていきます。

彼らが未熟だからではなく、自分と合わないものは何かを知っていて、自分を大切にできているからです。

もしもあなたが、私と同じように、古き良き時代の日本の教育の犠牲者であれば、「自分を大切にする」ことと「わがまま」の区別がつかないかもしれません。

自分を大切にすること、自分のニーズを優先させることは、わがままなどではありません。

私たち人間の当然の権利です。

関連記事:

病んだ場所に合わせられる人は、そもそも健全ではありません

自分を偽って演じたり、他者の顔色を伺って迎合し、要領よく振舞って人を出し抜いたりができる人たちです。

そんな中にあって「馴染めない」と身体や精神を壊して辞めて行くのは、もともと心が健全で真っすぐな人たちです。

だから、自分を責めたり批判したりする必要は一切ありません。

意識の覚醒が進み、何が真実で何が幻想なのか区別がつくようになってくると、必然的に不健全なエネルギーの中にはいられなくなります。

本当の自分を生きるために役立つ情報を発信しています。

クローズドの情報や個別セッションの割引情報などは 無料メルマガ 内でお知らせします。

© 当サイトの文章およびロゴや商標の著作権は当サイトが所有しています。許可なく無断転載することを固く禁じます。

関連記事

  1. ものごとはただありのままにある -過去は完璧に完結している-

  2. 日本の集団主義と漂う閉塞感

  3. 【雑記】どうしても受け付けられない表現

  4. 社会が変わらないのは人が変わらないから

  5. 【保存版】「ありのままを受け入れること」と「甘え」の違い

  6. 日本人の集合意識に残るジェンダー差別意識

  7. ものごとの辞めどき・潮どきを見極める

  8. 「自分のフィルター」を認識する -認知の歪みを自覚する-

2023年9月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

アーカイブ

最近の記事

特集記事

保存版記事