あなたに「義務」はない 義務感と罪悪感の正体

I have no obligation. 私に「義務」はない。あるのは「選択」と「その結果に対する責任」だけ

これは、今の私の基本的な生きる姿勢です。何事に対しても、これを基軸として生きています。

こう言うと、「そんなことはないだろう」と、反論してくる人がいます。

「例えば、僕は猫を飼っている。僕が猫の世話をしなければ、猫は死んでしまう。猫の世話は、僕の責任であり義務だろう」こういうことを言う人は、私の言葉の真意をまるで捉えていないのです。

自分の意志は完全に自由

まず、この人には、

  1. 猫を飼う自由
  2. 猫を飼わない自由

の両方があります。

どちらを選ぶかは、完全に本人の自由です。誰も本人がやりたくないことを強制することはできません。猫を飼っても良し、飼わなくても良し。誰にも「猫を飼う義務」などはないのです。

それが「自由」であるということ。

自分で選んだ責任は負う

もしもこの人が一度自分で「猫を飼う」と決めて、「それに付随してくるあらゆる義務と責任を自分が負う」と決めたのであれば、それはこの人の選択であり、この責任と義務を途中で放棄することはできません。

「猫を飼うことで発生する責任と義務」を負いたくないのなら、猫を飼わないと最初に決める自由が、この人にはあるのです。

これは、すべてに言えることです。

自由意志による選択はすべての人に平等に与えられている

  • 結婚する・しないの自由
  • 子供を持つ・持たないの自由
  • 仕事に就く・就かないの自由
  • 仕事を辞める・辞めないの自由
  • 誰かと付き合う・付き合わないの自由

すべては、完全に自由意志による選択なのです。

選択は必ず「自分の決断」でなくてはなりません。この決断において、自分自身に忠実であることそれだけが求められています。自分自身に忠実であるとは、「やりたい」「やりたくない」に正直であるということです。

誰かの意見に従ったり、世間体や周りの目を気にして「正直でない選択」をしたときにだけ、「やらなきゃ」という義務感が生じてきます。多くの方が誤解している「義務」とはこのことで、これは「義務感」に姿を変えた「罪悪感」なのです。何に対する罪悪感かと言えば、「自分に正直にならなかったこと」への罪悪感です。

他人軸で生きていると「義務感」が生じる

選択を「無意識」にしている、流されて生きている人であればあるほど、「責任と義務」をはき違えてしまいます。

今まで流されて生きてきたのであれば、ある時点で「自分は流されて生きるという選択をした」ということです。もしもそれが嫌なら、今日から選択を変えるしかない。選択は変えたくない、けれど、結果を責任や義務を負いたくない、ということは、基本許されていません。

一番根本的な部分において、私たちには何の義務もありません。

付き合いたくない人とは付き合わなくていいし、やりたくないことはしなくていいのです。それでも、付き合ってしまう、やってしまうというのなら、あなたには根本的な癒しが必要なのです。

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