英語に Comfort Zone という表現があります。直訳すれば「居心地の良い空間」ですが、本来の意味としては「安全圏」というニュアンスです。
私たち人間は、誰しも自分だけの「安全圏」を持っています。
例えば、私にとっての「安全圏」の一つは、「困難から逃げる」ことでした。自己否定感が強かった私は、難局にぶつかったとき「なんとかやってみよう」と思うことができず、「逃げる」ことで乗り切るという生存戦略を取り続けていたのです。
安全圏とは

今の現状は必ずしも理想ではないけれど、今受けているメリットは手放したくない
それが「安全圏」の概念です。
相手にNo.と言わずに迎合することで処世を図ってきた人にとっては、「No.と言わないこと」「自己主張せずに相手に合わせること」が安全圏です。
相手からの依頼やお願いを断って相手をがっかりさせたり、自分の都合を主張して波風を立てて「居心地の悪い思い」をするくらいなら、自分を抑えた方が「楽」なのです。
私の知り合いのアメリカ人は、学位を持っているにも拘わらず、駐車場の警備員として働いていました。「こんな仕事をするために大学へ行ったわけではない」と言いつつも、「でも今の仕事が一番時間的には楽なのよね」と言って、転職活動をしていませんでした。
自分の殻を破って一歩踏み出せば、必ず「居心地の悪さ」を感じます。なぜなら、そこはもはや「慣れ親しんだ安全圏」ではないからで、人はソレを恐れるあまり、延々と安全圏内に留まることを選び続けるのです。
安全圏は「快適」とは限らない
「安全圏」だからといって、そこに留まることが「安全」や「快適」というわけではありません。むしろ、安全圏に留まろうとすればするほど行き詰まり、無理やりそこから押し出されるのが今の時代の流れです。
なぜなら、安全圏の中に留まっている以上、人は成長も発展もしないからです。
宇宙の本質は進化と拡大です。この宇宙にあって、進化・拡大せずに済むものは一つもありません。もしも変わらずにとどまるものがあれば、自然淘汰されていきます。
安全圏に留まることの弊害
No.と言えず相手に合わせてばかりいる人は、体内に解消できないストレスや鬱憤をたくさん抑圧しています。一度発生したエネルギーはしっかり表現し尽くして昇華するまで、消えて無くなったりはしないのです。
身体の中にたくさんのマイナス・エネルギーを貯めているのに、それをストレートに表現しないので、受動的攻撃(Passive-Aggressive)になります。
ダイレクトに自己主張するかわりに、職場を無断欠勤したり、相手の前で泣き出したりすることで、歪曲に自分の言い分を相手にわからせようとするのです。
言うまでもなくこうした機能不全の言動パターンは、人生の中に様々な不具合を生み出します。
安全圏に留まり続ける限り、その「負」の部分も必ずついてくるのです。
人間が成長するためには脱皮する必要がある

芋虫は、そのままの状態では蝶にはなれません。半年以上も「蛹(さなぎ)」になる期間を経て、芋虫の形態を脱ぎ捨てて、蝶へと変容するのです。
小学生用のランドセルを背負ったまま中学生にはなれません。中学校での授業に、小学生の頃使っていたノートを持って行ったりはしません。子供の頃に気に入っていたコートを大人になってまで着ることはできません。
成長とは、そのときそのときで、「今まで大事にしてきた何か」を手放し、その代わりに新たな環境の中へシフトしていくことを指すのです。
- 仕事
- 住む場所場所
- 付き合う人たち
- ライフスタイル
- 身に着けるもの
- 価値観や意見
- など
人生のありとあらゆる要素は、成長とともに常に変化していくものです。変化することを恐れ、慣れ親しんだものを放すまいと「安全圏」にしがみ付けば付くほど、変化も成長もない生き方にならざるを得ません。
もちろん、それはそれで構わないのです。生き方は人それぞれなのですから。
ですが、今の時代のエネルギーの流れは、私たち人間が安全圏に留まることをこれ以上容認しないように感じられるのです。
私自身のこともさることながら、何十年も安全圏に留まっていた身近な人たちが、今、否応なく安全圏から押し出され、変化を受け入れることを余儀なくされているのを目の当たりにしてきました。
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