相手と自分双方を尊重したコミュニケーションとは、「相手は自分とは違う人間である」ことをハッキリと意識したコミュニケーションのことです。
日本の人たちは、相手と自分の共通点を見ることで「繋がり」を求めるように見受けられます。
しかし、人はみな違うものです。
人間関係の摩擦の大部分は、「相手は自分と同じ」という前提で行われるコミュニケーションであるように、私には思えます。
「相手が自分と同じであって欲しい」という想いで、必ずしも親密になれるとは限らない。
むしろ、そうでないケースが多くあります。
目次
相手は自分と「同じ」前提のコミュニケーション
「桜の季節って、いいですよね」
ある人からこう言われたら。
私は正直、「うーん、私はあんまりそう思わないけど・・・」と思うかもしれません。
花粉症を持っているとか、その他いろいろで、必ずしもすべての人が「桜の季節はいいものだ」とは思っていない可能性があるからです。
この問いかけは、相手に選択の余地を与えていません。
たまたま相手が自分と同じ感性の持ち主なら「だよね!」と親近感が湧くかもしれない。
でも、もしも違う感性の相手だったら逆効果でしょう。
「うん、そうだね」と、建て前で返せば「自分に嘘をつく」ことになる。
もしも「私はあまり好きじゃないかな」と本音を返せば、相手の気持ちを暗に否定することになります。
こうしたストレスがあると、相手とのコミュニケーションそのものが面倒くさいと私は感じ始めます。
相手と自分を別の存在として尊重したコミュニケーション
では「相手を尊重したコミュニケーション」とはどんなものか。
「私は桜の季節がすごく好きなんだけど、あなたはどう?」
こう聞いてもらえると答えやすいです。
自分の感性をスッキリと表現した上で、「あなたはどうですか?」と、相手の感性を尊重する意思を示しているからです。
そうすると、私は安心して自分の感じ方を言うことができます。
違いを受け止められる器を持つのが成熟
相手が自分と同じであって欲しいと望む、共通点を見つけてそこで繋がりたいと感じるのは、精神的に幼い人たちの特徴です。
本当の意味での大人とは、相手と自分が違うことを弁えています。
その違いを分かった上で、お互いを尊重できるのが大人。
違うことは決して悪いことではないし、寂しいことでもありません。
当たり前のことです。
その当たり前を当たり前として受け入れて、かつ水平な立場で関係を維持できるのが、成熟した人間の関係の在り方というものです。
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コミュニケーションの深さ
普段私たちが行うコミュニケーションには、様々なレベル(深度)があります。
一番表面的な部分では天気・天候の話など、当たり障りのない話。
相手との関係性や親密度によってコミュニケーションの深さが違ってくるわけです。
ここから先は、相手がごく親しい大切な人という前提で書いていきます。
親しくて大切な人であれば、より正確に自分の気持ちを伝えたいと思うと思います。
気持ちのすれ違いや誤解が原因で、相手との関係性が崩れてしまえば、立ち直れないくらい傷つくからです。
しかし、どれほど親しい間柄でも、コミュニケーションの深度によってはすれ違いや誤解は生じてしまいます。
ここから先は、どうしたらすれ違いをせずに、お互いに深く分かり合えるコミュニケーションを行えるのかを書いていきます。
例えば、ごく親しい相手が、自分に断りもなく大切にしている物を勝手に借りて使っていたケース。
相手にとっては何気ない行動だったかもしれないけれど、自分にとっては嫌なことだったという場合。
表面的なレベルのコミュニケーション
一番表層にある感情だけを表現したコミュニケーションでは:
- どうして勝手に私の物を使うの?
- 使うならちゃんと断ってからにして
など。
少なからず怒りと責めのエネルギーが混じったものになりがちです。
この部分だけで相手とコミュニケーションをとっていると、互いの攻防が繰り広げられ、いきおい喧嘩になりがちです。
喧嘩は必ずしも悪いものではありませんが、互いに責め合うだけの喧嘩は得るものがありません。
「怒り」を感じることは正当な反応ですが、その怒りはあくまでも表面的な感情です。
その感情の下に自分の「本当の気持ち」や「ニーズ」が隠れています。
相手と気持ちが通じ合うためには、表層部分の下にある「本当の気持ち」や「ニーズ」までしっかりと表現できている必要があります。
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