相手と自分双方を尊重したコミュニケーションとは、おおざっぱに言えば、「相手は自分とは違う人間である」ことをハッキリと意識したコミュニケーションのことです。
私たちの多くは、相手と自分の共通点を探ることで「繋がり」を感じたいと欲します。
それはその通りなのですが、だからと言って、「相手が自分と同じであって欲しい」という想いから行うコミュニケーションで必ずしも親密になれるとは限らない、むしろ、そうでないケースが多くあります。
相手は自分と「同じ」前提のコミュニケーション

「桜の季節って、いいですよね」
ある人からこう言われたら。
もしかしたら「うーん、そうかな・・・私はあんまりそう思わないけど・・・」と思う人がいるかもしれない。すべての人が同じ感じ方をするわけではないからです。
この問いかけは、相手に選択の余地を与えていません。
たまたま相手が自分と同じ感性の持ち主なら「だよね!」と親近感が湧くかもしれなくても、もしも違う感性の相手だったら、逆効果でしょう。
「うん、そうだね」と、本音を隠して社交辞令で返せば自分に嘘をつくことになるし、もしも「そうなんだ。私はあまりそう思わないけど」と本音を返せば、発言主の気持ちを暗に否定することになるからです。
こうした煩わしさがあると、親近感が湧くどころか、相手との間に微妙な心理的な距離が開きます。
相手と自分を別の存在として尊重したコミュニケーション
では「相手を尊重したコミュニケーション」とはどんなものでしょうか。
「私は桜の季節がすごく好きなんだけど、あなたはどう?」
こう聞いてもらえると、私は答えやすいです。
自分の感性を嘘偽りなくスッキリと表現した上で、「あなたはどうですか?」と、相手の感性を尊重する意思を示しているからです。
そうすると、私は安心して自分の感じ方を言うことができます。
違いを受け止められる器を持つのが成熟
相手が自分と同じであって欲しいと望む、共通点を見つけてそこで繋がりたいと感じるのは、精神的に幼い人たちの特徴です。
成熟した大人とは、相手と自分の違いを受け入れた上で、双方を尊重できる姿勢を持った人のことです。
違うことは決して悪いことではないし、寂しいことでもありません。当たり前のことです。
その当たり前を当たり前として受け入れて、かつ水平な立場で関係を維持できるのが、成熟した人間の関係というものです。
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