人の役に立ちたいと思わない

私が最近覚える違和感は、「人の役に立つことの歓び」についてです。

正直にお話すれば、私は強いて他の人の役に立ちたいとは思いません

まだずっと若い頃には「人の役に立ちたい」と思っていた時期もあったように思いますが、少なくとも今はそう思っていません。

私が意図せずにやってきたことや自分の経験が「結果的に」他の人のお役に立てるのであれば、むろん嬉しいです。でもだからと言って「それが私の歓び」かと聞かれれば、決してそうではない。むしろそんなことを言われればものすごい違和感を覚えます。不快に感じると言ってもいい。

私の場合、自分の人生の課題として乗り越える障害が多く、どうしてもそれをやる(やらされる)「羽目」になる。背に腹は代えられないからそれに取り組む。その経験をシェアしたところ「結果的に誰かの役に立ったり希望を与えたりしたようだ」ということが多いです。

それはそれで少しは少しは嬉しいし「良かった」とも思いますが、「自分の経験がどなたかのお役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません」と言えるまでの熱量は私にはないです。

でも親切

でも、私は「親切な人」だと思います。

自慢したいわけではなく、私の本質として「親切な心」と「一般的な優しさ」は備わっているというだけです。

街中で歩道を歩けなくなって困っていた女性を介助したり、電車の中で席を探して焦っている足の不自由な方に席を譲ったり、通勤バスに毎朝乗り合わせる高齢者に席を譲るなどしてきました。10代の頃から今に至るまでずっとそうです。

「それが正しいことだから」しているわけではなく、もしも自分が逆の立場だったら「そうしてもらえらたら助かるだろう」と思うのでしているだけです。

時には「親切心」を断られることもあります。自分は親切心で「やりましょうか」と声をかけても、相手にとっては「自分でやることがリハビリ」ということがあるからです。そういうときには「失礼しました」と言って去ります。

自分だけの正解を貫く

私は、自分の人生やアセンションのプロセスの経験をシェアしたり発信したりすることが、「結果的に」どなたかのインスピレーションになればいいなと思っています。ならなかったとしても、むろんいい。

他の人にとっては、人の役に立つことや人助けをすることが本当の心の歓びなのかもしれないと思います。私は彼らではないのでわからないです。彼らを否定するつもりはありません。

ただ私は、すべての人が「人の役に立ちたい」と思う訳ではないと思うし、他者の役に立ったり人助けをすることに「歓び」を感じる訳ではないと思っています。

私たちは、世間一般や他の人の正解ではなく、「自分だけの正解」を見つける必要があります。そのためにはとことんまで自分の感じ方や気持ちに正直になり、その感覚を言語化していくことが必要です。

もしもどなたか、私と同じように感じていらっしゃる方の参考になりましたら幸いです。

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