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関連記事にも書いたように、アセンションのプロセスを経る中で私の生き方やライフスタイルは劇的な変化を通過してきました。
改めて振り返ってみるに、人生の各ステージにおいて生き方やライフスタイルは随分と違うものだと思うようになりました。
この記事では私の半生を振り返りながら、ライフステージにおける生き方やスタイルの変化について書いてみたいと思います。
10代まで(準備期)
10代の大部分を、私は生まれ故郷である長野県の小さな町で過ごしました。
幼い頃より変わり者だった私は周囲に馴染むことができず、いつも自分だけ浮いているような感じ方をしていました。学校へ行くのが大嫌いで、それよりも自分の世界の中に歓びを見出すような子供でした。
田舎の閉鎖的なメンタリティや陰湿な村気質が嫌いで、一刻も早くもっと広い世界へ出ていきたいと願っていました。見知らぬ世界への憧れから海外文通を始めたのは14歳の時でした。
将来の夢を抱きながら、じっと蛹(さなぎ)のように過ごした時期だったと思います。
自分が何をしたいのか、何に向いているのか、何をしにここへ来たのか、まだ何も思い出していない頃です。ただ漠然とした将来への希望と夢だけがあった時期です。
20代(冒険期)

進学した先の東京も肌に合わなかった私は、20代のほとんどを海外での冒険に費やしました。
日本、アメリカ、イスラエル、オランダ、香港と、行きたいところを転々としていました。

イスラエル軍でボランティアをしたり、エジプトを一か月かけて回ったり、オランダ人の恋人とアムステルダムで同棲したり、放浪にボランティアに恋にと、とても活動的に過ごした時期でした。
この頃の経験が、今の私という人の土台になっていると感じます。
何か破天荒なことがしたくて、21歳の時に足首にタトゥーを入れました。
20代の恋愛は不健全なパターンを繰り返してばかりで、出会いと別れを重ねる中で否応なしにインナーチャイルドの傷が刺激されました。
もっともつらかったのは26歳のときで、ただ生きていることがやっとというような時期でした。半年ほどで立ち直りましたが、自分自身と真剣に向き合った最初の時となりました。
まだ自分の軸が定まらず、自分の生き方を模索し続けた10年でもありました。
30代(安定期)
30代のすべてを香港で過ごしました。私の人生で最も安定し、かつ輝いていた時期です。
仕事があり、お金があり、友達と恋人がいて、趣味のバンド活動やボランティアに忙しく、30代半ばで結婚してからは幸せな時期を過ごしていました。

数えきれないくらいの人々と出会い、別れ、また出会い、とにかく人生の幅を広げるという意味ではとても濃い10年間となりました。
仕事柄ブランドの服やアクセサリーやバッグを身に着け、クローゼットに入りきらないくらいの服を所有し、エステやネイルに通い、月に数回は高級レストランで食事をするという生活でした。
そういうライフスタイルを維持することが幸せだと感じていたことも事実です。
同時にいくつかとても辛い経験もしました。恋愛や結婚を通してインナーチャイルドの傷と向き合うことはもとより、大切な人や動物の死、別れ、生きるということと向き合うことを促され、自分は一体何のために生まれてきたのかと真剣に考え始めた時期でもありました。
さらに言えば「どう生きたら良いのだろう」という命題が常に付きまとっていた10年でもあったと思います。
2度ほどヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加しています。
「私は自分の生き方を貫く」という意味を込めて、36歳のときに左肩に青い蓮の花のタトゥーを入れました。

40代(回帰期)
40歳になった年、アセンションの最初の兆候が表れ始めました。
そこからは、今までの自分をすべて一度失う、変化・変容、癒し・浄化・統合のプロセス、ただひたすら自分を解体し、精査し、組み立て直す作業が続きました。40代のほとんどをその作業に費やしたと言っても過言ではないでしょう。
今私は47歳ですが、今に至るまで、「私」という人を精査する作業が続いています。
44歳の時にインドへ1か月、バリ島に2か月滞在しました。とにかくアセンションのプロセスから一時的にでも逃れたくて長期休養へでかけたのです(実際は逃れることはできないのだけれど)。

バリ島にのアパートで、初めて自分のドメインを取得して個人ブログを立ち上げました。
46歳のときに何度目かの契機が訪れ、スーツケース一つに収まりきるだけの持ち物で生活を再スタートさせました。
生きていく上で必要なものだけを精査して残し、あとはすべて手放しました。唯一手元に残したブランド品は、10年以上前に手に入れたカルティエの時計だけです。
そして、まったく見知らぬ土地へスーツケース一つだけで移動して暮らし始めたのです。

今の私は、常に生活バランスを見直し続けてきています。例えば、今所有しているタオルは2枚だけ、靴は4足だけです。什器類は必要最低限のものだけを所有しています。
家にあるものすべて必要から所有しているもので、過不足はありません。生活に足りないものがあれば買い、不要なものが出れば手放します。
そうして揃えた日用品は、すべて自分が納得したものだけです。言い換えれば、自分が納得しないものはたとえ何であれ、自分の空間には置かないようにしているのです。
最近ごく親しい人が、「最近のあなたが着ている服は、本当にあなたらしい。よく似合っている」と言いました。
30代の頃身に着けていた服とはまったく違う、けれども本当に自分らしい服を選べるようになったのが、40代で経験したことの賜物だと思っています。30代ではよくわかっていなかった「自分らしさ」を、40を過ぎてからようやく取り戻したのです。
自分は一体誰で、何をしにここへ来たのかを思い出したのも40代に入ってからでした。
とにかく人生のすべてを根底から変えることを余儀なくされたのが、私にとっての40代なのです。
45歳のときに休暇で出かけたオランダで、右肩の後ろに好きなバンドのロゴのタトゥーを入れました。
50代以降(成熟期)
今の私は、50代をどう過ごしたいのかを考える時期に差し掛かっています。
- どんな場所に住むのか
- どんな家に住むのか
- どんなライフスタイルを持つのか
- どんな価値観で生きるのか
こうしたことは、当然のことながら各ライフステージによって変わるものだと経験的に知っています。
50代の私は20代の私と違う、暮らしたい場所も、やりたいことも、付き合いたい人たちも、若い頃とはまるで変わってきています。
拡大を目指した若い頃とは反対に、身体の変化や気力の低下に伴い人生のサイズをダウンしていく時期に差し掛かっていると感じます。持ち物を減らし、人間関係を減らし、食べるものの量の低下に伴って冷蔵庫も大きなものは必要ないと感じるようになりました。
少しの物や人と深い関係を築いてそれを大切にする生き方へのシフト。
そのときそのときで変わる(変化し成長する)自分に正直に、自分に合ったベストな環境を整えてあげられるように、思考、感情、気持ちと向き合っています。
学生時代の親友に向かって、30歳の私が当時言ったことです。
「30代に入ってから、何だか人生が近くなったと感じる」
今47歳の私は、ようやく自分と自分の人生が一致し始めたと感じています。本当の私はどんな人だったのか、それを思い出してそれを生きる。
それが、今の私の命題となっているのです。
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