誰かを愛するとは

私は、人を愛することは簡単なことではないと思っています。

自分自身を振り返ってみたときに、「愛している」と言える相手は二人しかいないことに気づきます。二人とも日本にはおらず遠く離れて暮らしていますが、私が自信を持って「愛している」と言える人間は、地球上でこの二人だけなのです。

私にとって動物や植物を愛することは簡単です。

でも、人間を愛することはまったく別問題だと、私は感じます。

私が愛している二人は男性と女性一人ずつですが、男性の方には「しゃべり方の癖」のようなものがあります。ずっと以前、私は彼のその癖がどうにも苦手で、「何とかならないのかなぁ」と思っていました。彼には良い面が沢山あって好きだけれど、癖や欠点もあって、「そういうところは不満だなぁ」と思っていたのです。

好きな部分と不満な部分を比べて、好きな部分がちょっと勝っているくらいで折り合いながら生きていくのが人生だと思っていました。現に、20代の頃に当時50代の知人からそのような話を聞きました。

しかし、今47歳になった私は、それとは少し違う感慨を抱いています。

長い時を経て様々な事を乗り越えてきた結果、今の私は、相手の癖や欠点を「愛しい」と思える境地にまで達しています。

誰かを愛するとは、好きなところや良い面だけを愛でることではなく、癖や欠点を大目に見たり我慢したりすることでもありません。

そうではなく、相手の変な癖を「あなたらしい」と微笑ましく受け止めたり相手が欠点を乗り越えようとするプロセスを、「優しく見守りたい」と思える気持ちを持てることだと思います。

そうしたいと思える相手に出会えれば、それは人生の宝だと私は思っています。多くの人は「愛されたい」と望みはしても、「愛する」ことは苦手なようだと感じます。

多くの人は、「愛する」ということを誤解しているように私には思えます。

誰かに強く惹かれることや、何かに激しく執着することを「愛」だと思っている節がある。あるいは、相手の欠点を見て見ぬフリをして、自分を犠牲にし続けながら耐えることが「愛」だと思っている節がある。

でも、それは愛ではありません。

誰かを愛するためには、まずは自分自身を愛せていることが必要で、その上で、自分に対する愛と同じくらい深い愛で相手を受け止められることが「本当の意味での愛」だと、私は思います。

  • 自分が今食べている美味しい物を、その人と分かち合いたいと思う
  • 相手の変な癖が「かわいらしい」と思える
  • 欠点を容認せず、欠点を克服しようとする相手を見守ることができる
  • 共に成長したいと思える

そんな風に思える相手が二人もいる私は、幸せ者だと思います。

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プロフィール

1973年長野県生まれ。約20年に渡り5か国に暮らしながら心理学、形而上学、精神世界を学び実践してきた。2018年に自身の経験をシェアしたブログを開設。現在は国内外のアセンションのプロセスにある人たち、自分らしく生きたいオールドソウルたちの個性化のプロセスをサポートしている。

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