何もしない時間が、すごく大事です。
- ブログを書くでもなく
- 料理や掃除や家事をするでもなく
- 動画を観たりゲームをするでもなく
- 仕事をするでもなく
- 誰かと話をするでもなく
- 創作活動をするでもなく
ただベッドやソファにゴロンと寝転んで天井に映る陽の光と影を見ていたり、ボーっと窓の外の景色を眺めていたり、原っぱに寝転んで空を眺めていたりする時間。
そのうちに身体の中から疲労感が浮上してきて気づいたら眠りに落ちている。身体が重くなって、久しぶりの休養を取る。
ただそういうことだけをする日が、一か月に一度はないといけない。
ゆっくりできないのはトラウマ反応
何もしない時間がもったいない、何もしない時間が怖いと感じるのは「トラウマ反応」です。
何もしない時間をのんびり楽しむことができないのみならず、「何もしない時間は未来への投資」などと、すべてを損得勘定で捉えてしまうのも「トラウマ反応」です。
私たち現代人は、「常に生産的であること」を求められ、何もせずにただボーっと時間をすごすなどは怠惰な人間か退屈な人がすることだくらいに思い込んでいるのです。
私たちは 「常に生産的である 」必要はありません。むしろ、何もしない時間を持つことによってでしか本物の「創造性」は開花しないというのが事実なのです。
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男性性は Do 女性性は Be
行動を起こしたり、目標を立ててそれに向かってまっすぐに進んでいけたりする力は男性性が担うところです。足りない部分があれば努力して補い、改善し、適切な行動を起こせる力です。
反対に、あるがままを受け入れて、何もせずに「ただ在る」力は女性性が担うところです。自分や他者の弱点をありのままに受け止めて受け入れる力。何もせずにただ目の前に展開する世界と一体化して「在る」力です。
男性性にばかり偏っていると、結果を出すために常に動き回っていたり行動を起こすことを止められなくなったりします。
ですが、行動を起こし続けてもなかなか思うような結果が出ないときに一番必要なのは、すべてを大いなるものに委ねて何もせずにジッとしていることなのです。
忍耐を養うということでもあります。
適切な行動をしっかり起こせる力、その後は期待と執着を手放して委ねることができる力。どちらが欠けてもアンバランスな人になってしまいます。
何もしない時間に心の扉が開く
私が自分の経験から知ったことは、何もしない時間に「心の扉」が開くということ。
普段の生活の中では何か心の琴線に触れることがあって涙がこみあげてきても、ぐっと堪えて押し殺してやりすごしていることがあります。何もしない時間に心の扉が開いて、そういうものが出てくる。
ここ何年かの私は、以前に比べると各段に「感じやすい」人になっています。ちょっとしたことでも心が動いてビビッドな感情を味わうことが多い。
それくらい、感情体としっかりと繋がれているということです。
現代人の多くは、感情を感じなくてもすむように、意図的にせよ無意識にせよ、感情体との繋がりを遮断しています。そうやって「感じないようにして」やりすごしている。
癒しと浄化と統合を進めるうちに、人間らしい感情や心の動きが戻ってくるのを感じることでしょう。
男性性と女性性の統合についてはE-Bookにまとめていますのでご参照ください。
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