コスモポリタンの視点

この記事では、日本で生まれ育った私が日本以外の国5か国で生活したことで得た「コスモポリタン的視点」と、そこに至るまでの経験について雑記的に書きたいと思います。

私はアメリカ、イスラエル、オランダ、香港、そしてインドネシアのバリ島で暮らした経験があります。

一番長いのは香港で15年半、次に長いのはアメリカで4年半、一番短かったのはバリ島の2か月です。短くてもデンパサール市内にコス(アパート)を借りて生活しました。

今の私は、「日本人」としてのアイデンティティよりも国籍が曖昧な「私」というアイデンティティの方を強く感じています。

自分が「日本人」であるという感じ方が薄いし、日本の街中で外国の人を見かけても「あの人は外国人だ」とはあまり思わないです。

日本の中ではいたって普通の日本人の外見ですが、その他の場所では自分こそが「ガイジン」として奇異な目で見られた経験もあるので、社会の中で人種的マイノリティとして生きることの何たるかを少なからず知っています。

日本人の自分を強く意識するとき

まだ20代だった頃、日本以外の場所に暮らしたことがない日本人から「海外で暮らしている日本人は日本のことを何も考えていない」的なことを言われたことがあります。

外国に暮らしたことがない人はそんな風に思うのかもしれませんが、私の現実はそれとは正反対でした。

日本以外の場所に暮らしているときこそ、「日本人としての自分」と「日本」という国と文化を強く意識せざるを得ないからです。当たり前と言えば当たり前なのですが、その経験を持たない人にはピンとこないことなのかもしれないと思います。

日本に関する質問を受ける場面も多々あり、自分自身が「日本という国」についての理解と認識を深めていなければ答えることができません。今いる国と日本を比較することで、改めて「日本という国」を知っていくプロセスだと思います。

初めて暮らした外国であるアメリカでは、自分が日本人であることを、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも強く感じました。それどころか「アジア人としての自分」というまったく新たなアイデンティティまで発掘することとなり、「自分という人の属性」の幅が広がったのを感じました。

それと同時に、人種差別というものを肌で感じる場面も少なからず経験しました。社会の中で人種的マイノリティとして生きる経験をしたのはアメリカが初めてでした。

アジア人の自分を強く意識するとき

アメリカではまだアジア人の比率が多かったけれど、オランダで暮らしたときはその比率はぐっと低くなりました。街で見かけるアジア系は、元植民地のインドネシア人か中国人でした。日本人はアメリカほど多くない。

自分の髪や瞳や肌の色、顔の造作がアジア人であることを強く意識したのは、イスラエルとオランダでの生活からだったように感じます。アメリカの人々はアジア人を見慣れていても、中近東や北欧ではまだアジア人の数は(当時は)少なかったのです。

当時20代だった私は、世界中の人が日本という国とその歴史について知っていると思い込んでいましたが、それはまったく事実ではないことも知りました。

他の国の人たちにとって日本は数ある国の一つに過ぎず日本の歴史や成り立ちに興味を持って知識として蓄えている人など本当に少ない(ほとんどいない)のが現実だったのです。

それくらい、世界の中では「日本の存在感」は薄かったのです。日本はアジアの中の一つの国に過ぎない。「自分はアジア人である」と意識することが増えて行きました。

「日本人」であるだけで嫌われる経験

東南アジアである香港では「アジア人であることのストレス」はまったく感じませんでした。食べ物も口に合うものが多かったし、アメリカや中近東やヨーロッパで暮らしていたときのカルチャーの違いからのストレスは大幅に軽減されました。それが香港で15年半も暮らせた要因だったように思います。

ただ、歴史的な経緯からあからさまな「日本人に対する嫌悪感と憎悪」を向けられることがありました。とくに中国本土から来ている人たちの中には、私が日本人だとわかった瞬間から「反日感情」をあからさまにする人たちもいました。

「日本人だから」という理由で嫌われる経験は、香港に移住してから増えたように思います。

アメリカ、イスラエル、オランダ、香港での生活を通してまったく違った経験を積み重ねるうちに、「自分という人」のアイデンティティが増えたり磨かれたり深まっていったりしたように感じています。

「日本人」ではなくて「私」へのシフト

「日本人としての自分」に違和感を覚え始めたのは、2018年にインドに1か月、その後バリ島に2か月滞在したときでした。

その頃の私はすでに香港で15年半暮らして永住権を取得しており、日本人というよりも「日本出身の香港人」に近いアイデンティティを有していたという方が正確だったのです。

インドやインドネシアでは周りから「日本人」として扱われて日本についてアレコレ聞かれたり、「日本と比べてバリ島は物価が安いと思うでしょう」なんて言われたりしましたが、ピンとこない。

何しろ私自身日本には随分長いこと戻っていないのだから、それよりも香港のことについて聞いてもらった方が私としてはしっくり来ることに気づいたのです。

その経験を通して、「日本人としての自分」ではなく「私は私」という意識が強く育ち始めたように思います。「日本人」ではなくて「私」が私のアイデンティティであるという風に意識が変わっていったのです。

人間40年以上も生きてこれば、生まれた時とはまったく違うアイデンティティを持つに至ったとしてもおかしくありません。

実際私は長野県出身だけれど、長野で暮らした時間よりもその他の場所で生きてきた時間の方が圧倒的に長いです。生まれた場所よりも、人生の多くの時間をどこでどうやって過ごしたのかが、次第に「自分」を形作っていくと考えた方が私にはしっくりきます。

同じく長野出身の私の従妹の一人は、長年大阪に住んでいるために言葉や性格まで大阪の人になってしまったのと同じです。人生の半分以上を日本以外の場所で過ごした私にとって、「私は日本人である」という意識はもはやしっくりと来るものではなくなっていたのです。

今の私はどんな人?

「Where are you from?(どこの国の人)?」と聞かれれば、「日本」と答えるとは思います。ですが、「でも中身はあまり日本人じゃないかも」と付け加えるかもしれない。

今の私は、今まで暮らして来た場所や経験から受けた影響をすべてひっくるめた人だからです。

コスモポリタンの大きな特徴の一つは、「自分という存在」を多角的に認識できる視点だと思います。〇〇人というアイデンティティと癒着することなく、「自分」という軸がしっかりとできた上でマジョリティとしての自分もマイノリティとしての自分も持っている。

〇〇人という枠にとらわれることなく、「人間」としての自分で生きられ、他者をもそのように認識できる。それがコスモポリタンということでしょう。

今の私に一番大きな影響を及ぼしているのは、香港人としての永住権を持っている香港だと思います。

  1. 香港
  2. 日本
  3. オランダ
  4. アメリカ

という順で影響を受けているように自分では感じています。

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