つい最近知り合った人から、「墓はあるの?」と聞かれて一瞬何のことかわからずに驚きました。
「墓?何の墓?私の墓?」なんて聞き返して大笑いされましたが、つまり、「そろそろお盆だけど、お参りをする墓はあるのか」と聞きたかったらしいです。
世間は「お盆」なんですね。
札幌へ来てから早10か月。私の実家がある長野では、親の世代はしっかりと墓参りする人たちが多いですが、私たちの世代になるとそうでもない人たちがかなりいたりします。
でも札幌では私たち世代の人たちでも「お彼岸」や「お盆」の墓参りを欠かさないという印象があります。
私は世間の祭事や催事から縁遠く生きているので、盆暮れ正月を祝いません。クリスマスもバレンタインも祝いません。
そういう生き方になってから早20数年が経ちます。
- 年賀状は20年以上出したことがない
- 盆暮れ正月は祝わない
- クリスマスやバレンタインは祝わない
- オリンピックや各種スポーツ競技を(テレビでも)観戦しない
- 世間で流行っているものを知らない
そうなってしまった主な理由は「ずっと香港に暮らしていたから」で、日本の暦とは関係ない香港の生活を優先させているうちに、日本の風習を忘れてしまったのです。
日本から出たことがない人たちは世界各地どこでもお盆があると思っていますし、終戦記念日は8月15日だと思っています。
ですが、お盆は日本にしかないし、終戦記念日は国によって違うんですよね。
香港にもクリスマスやバレンタインはありますが私はどちらもあまり興味がないし、香港では日本のように頻繁に墓参りをしないので、「墓参りをする」という風習を忘れてしまいました。最後にお参りしたのは20年以上も前のことです。
先祖崇拝の強い日本の文化において「墓参り」は重要視されるかも知れませんが、私は何かを想ったり信仰したりするのに特定の物やしきたりを必要としない人です。
「盆暮れには家に帰って仏壇に手を合わせる」というような形式的なことは私にとってまったく重要ではなく、ほぼ毎週祖父母を思い出しては懐かしく思っているので、それで十分だと感じているだけです。
墓参りしたい人はすればいいし、しなくてもいい人はしなければいい。
自分にとって何が重要で何が重要でないかは人によって全く違いますね。
ちなみに、私は自分が亡くなったら「墓」に入りたいとは思いません。海か川に散骨してもらう、それが叶わなければ無縁塚へ入れてくれと遺書に書いてあります。供養は要らない。
この人生の最後に自分の身の始末をどうつけて、その後のことをどうするのかを予め考えておくと、人生がさらに充実すると最近知ったところです。
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