人間の内面の成熟度と社会全体の成熟度の間には、微妙な相互関係があります。
通常であれば、社会は成長と成熟へ向けて一方向で進んでいきます。
しかし日本社会の場合、下方修正を重ねた結果、社会全体が「幼児返り」したように私には感じられます。
そしてそれは、日本社会に暮らす一人ひとりの日本人の成熟度に関係していると思われるのです。
人間の内面の成熟度

内面が幼い人は、他者からも幼く扱われたいと願い、内面が成熟している人は、他者から大人として扱ってもらいたいと願う傾向があります。
自分の内面の成熟度によって、他者との関係性が変わるのです。
内面が幼い人は、相手が敬語を使って話したり、健全な境界線を引こうとしたりすると傷つく傾向があります。
健全で自律的な人間関係を「冷たい」とか「よそよそしい」と感じるわけです。
相手と癒着して依存し合いたいために、言葉遣いや態度もベタベタとした甘えたものになりがちです。
一方、内面が成熟している人は、相手が自分に対して幼児語や赤ちゃん言葉で話しかけてきたり、ベタベタと接してくることに大きな違和感を覚えます。
自分自身が自立しているので、一人の大人として扱ってもらいたいという欲求を持っているためです。
相手とは、尊重と自律に根差した水平で対等な関係を持ちたいと望んでいます。
進化の方向は常に一つ
社会は決して一枚岩ではありません。
一つの社会の中に、内面が幼い人もいれば成熟した人もいるのが当たり前です。
ですが、人間や社会の進化の方向は常に一つなのです。
その方向とは、成長と拡大。
なぜなら、宇宙の本質が真かと拡大だからです。
それは、この宇宙にあるすべてのものが、進化と拡大の一方向へ向かって進んでいることを意味します。
後退したり現状維持しているものは自然と淘汰されていきます。
それが自然の摂理だからです。
成長とは
成長とはできなかったことができるようになること
嫌われたくなくて No. と言えなかった人が、言えるようになること。
自己犠牲がやめられなかった人が、自分を大切にできるようになること。
人の顔色を伺うのをやめられなかった人が、自分らしく言動できるようになること。
これらはすべて成長です。
内面が幼い人が自立して、相手との間に健全な境界線を引けるようになったり、適度な心理的距離を保ちながら人間関係を修正していけるようになることは、同じく成長の一つのです。
しかし、周りが幼い人に合わせて、言葉遣いや態度を子供っぽいものにしていれば、この人はいつまで経っても成長することがありません。
それどころか、周囲の人も一緒に成長を止め、ひいては社会全体の成長が停滞につながっていきます。
今の日本社会は、そのような「下方修正」を重ねてきた結果だと感じるのです。
下方修正を続けていった日本社会

一部の人の「幼さ」に合わせて周囲が態度を変えてあげる。
そのため本人も周りも成長が止まる。社会の成長が止まる。
「できない人」に合わせてあげることは一見優しさのように見えますが、共依存の症状の一つにすぎません。
健全な父性を持つ人なら、内面が幼い人がいずれは成長できるように、見守るか、背中を押すかするのです。
相手の幼さに合わせて自分が敬語で話すのをやめ幼児言葉で話してあげるのは、優しさではなくて「下方修正」です。
本当に本人の成長を願うのであれば、自分の態度は変えずに、相手の成長を見守る必要があります。つまり、自分のスタンダードを相手に合わせて変えたりしてはいけないということ。
そして、双方にとって有益な関わり方ができないと感じるのであれば、「付き合わない」と決めて、人間関係を解消できるだけの行動力を持つ必要があるのです。
それが日本社会に決定的に欠落している「父性」のエネルギーです。
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成長には父性が必要不可欠
人間が健全に成長できるためには、健全な父性の関わりが欠かせません。
大好きなアイスクリームばかり食べたい子供に対し、「気持ちはわかるけれど、毎日食べてはいけない。アイスは週2回まで」と、健全な規律を課すことができるのが父性の力です。
意地悪をするわけではないのです。我が子の健やかな成長を願えばこその厳しさなのです。
今の日本に、父性を体現できる人は限りなく少ないと感じています。なよなよとした負の女性性ばかりが強く、背骨の通った男性性を体現できる人がいない(少ない)のです。
社会全体の成熟を推進するのは一人ひとりの意識の在り方です。
社会が発展し成熟していけるためには、一人ひとりが「内面が幼い人」に迎合することなく、自分のレベルはキープできるだけの父性を持つことが必要なのです。
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