ヒロシさん流ソロキャンプに見る「しなやかで自立的」な生き方

何日か前に、ヒロシさんの「ソロキャンプ」に関する記事を読みました。

ヒロシ「キャンプ飯にコンビニ弁当」堂々と選ぶ訳

これを読んで、深く共感するものがありました。

ヒロシさんはたまたまキャンプについてご自身の価値観を述べていらっしゃいますが、「キャンプ」を「人生」に置き換えてまったく問題ないと思います。

人生とはまさに、このように生きるものであると私は思いつつ日々生きているし、発信しています。

自由にやればいいんじゃない?

自由にやればいいんじゃない?ソロキャンプの楽しさは、これだ!と1つに絞れるものでなく、トータルで楽しむ感じですね。風が心地いい!と思う瞬間もあれば、強風になるときもある。水の音は静かで癒やされるけど、場合によってはうるさいな、と感じる日もあるよね。僕はよく焚き火をするけど、焚き火だって昼間はくそ暑いな!と感じていたのに、夜になると温かみを感じてちょうどいいなとなる日もあります。ハンモックでのんびりしているうちに、うわ、夕方だ!と急に周囲の暗さを感じたり、そうかと思えば、ふいに虫が出てきて焦ることも。それに、変化するのは自然だけじゃないよね。自分自身や周りの人間たちも日々変化しているはず。毎回微妙に気分も違うと思うんです。そんなすべての変化も感じながら、トータルで調和や変化を楽しむわけです。そんな時間を一人で過ごすのがやっぱりよくて。

ヒロシ

人生って、まさにこの通りなんです。

私風に書き換えるとすると ↓

自由に生きればいいんじゃない?人生の楽しさは、これだ!と1つに絞れるものでなく、トータルで楽しむ感じですね。一人が心地いい!と思う瞬間もあれば、寂しく感じるときもある。雑踏の音は人心地がついてホッとするけど、場合によってはうるさいな、と感じる日もあるよね。私はよく一人旅をするけど、気楽でいいなと感じていたのに、女の一人旅は危険だと感じることもあります。旅先で出会った人と話すのは楽しいと感じる反面、煩わしいと感じることがあったり、そうかと思えば、ふいに客引きやジゴロにつかまりそうになって焦ることも。それに、変化するのは自然だけじゃないよね。自分自身や周りの人間たちも日々変化しているはず。年を取るごとに微妙に気分も違うと思うんです。そんなすべての変化も感じながら、トータルで調和や変化を楽しむわけです。そんな人生を一人で生きるのがやっぱりよくて。

私は人生がどうも計画通りには行った試しがない人で、物事に対する感じ方も、そのときどきで大きく変化する人です。だから、人生は「しなやかに」生きた方がいいと思っている。

「しなやかに」とは、予め色々なことを決めつけすぎず、そのときそのときの流れに沿って自然体で生きていくという意味です。

例えば、先週「クラムチャウダーを作ろう!」と思ってスーパーへ食材を買いに行ったら、思いがけず塩サケの特売をやっているのに出くわしました。「おぉ、そう来たか。じゃぁ、クラムチャウダーじゃなくてサーモンのチャウダーにしよう」と予定変更。

人生ではそんなことが沢山起こるわけです。

高次元からの導きは、私たち人間が頭で考えることよりも優秀です。その導きはこういう形で現れる。そのときに、そのサインを逃さずにキャッチできるかどうかは「しなやかさ」にかかっているわけです。

26歳のときに親友を訪ねて行った先の香港へ落ち着いて、気づけばそれから16年もそこで過ごしてしまった。計画していたわけではないのに。理由は「ここにいるのが何だか楽しいし、帰るのが面倒くさかったから」。

それでまったく問題ないわけです。

それが「流れに乗る」ということだから。

「コレをやって生きる!」って、早いうちに決めることないと思う。気持ちや感じ方はそのときどきで変化するのものだから、そのときどきに一番しっくりと感じることをしたらいいと思っています。

参考記事:

やらないのは、それまでの人だから

一方、キャンプに足踏みしている人は、道具を1個1個揃えて、食材を準備して、地図で道を調べて車で遠出して……といった一連の作業に挫折する。それはそこまでの人なんじゃないですか。だって、今日取材に来ているカメラマンさんもそうですよ。カメラマンってカッコいいし憧れるじゃないですか。それでNikonとか高いレンズや機材を買って、大して扱えないまま終わる人もいっぱいいますよね。それはそれ止まり。でも今プロで活躍しているカメラマンさんたちは、そこを乗り越えて、お金稼ぐところまで来ているはず。何でもそう。ギターを買っても途中で手放す人もいるし。結局興味があるかどうかです。

ヒロシ

若い頃報道カメラマンになるという夢がありました。でも、カメラのこととか、機材のこととか、その他色々なことを乗り越えるだけの熱意と情熱が私には足りなかった。

だから今は写真を撮る人ではなくて物を書く人になっているわけです。

色々考えすぎてしまったり、あぁでもないこうでもないで前へ進めないというのなら、それは熱意と情熱がないというサインです。本当に好きなことだったら、たとえお金にならなくても、どれほど大きな障害があっても、やらずにはいられませんから。

私が物を書くことを始めて早20年くらい経ちますが、辞めようと思っても辞められません。ふとしたときに、「書きたい」熱意が湧き上がってくるからです。それをとにかく形として表現してあげなくては、自分が行き詰ってしまう。

そのくらいの熱意がなければ、何事もやらない方がマシです。

「みんなで」という装備を置くことが最大の軽量化

僕も、気分によっては面倒くさいと思うときは装備を減らすしマチマチですね。それよりも、結局一番メンドクサイのは人ですよ。人がいると、途中でトイレ行きたいだの、何買いたいだの、そんなもの買うの?とか、ああだこうだ言われるのが嫌で、ソロキャンプやってますから。何人かでキャンプに行くと、焚き火台はこれがいいとか、それぞれ意見があるじゃないですか。すぐにトングで火をいじる人もいて、消える消える……とこっちは見てわかるけど、いちいち口も挟みません。そして、あぁやっぱり消えたとか。なんかそういうのが嫌で、自分は自分でやりたいんです。帰り送らなきゃいけないとか、たまにはいいですよ。仲間の車が故障したから送ってと言われたら送るけど、基本的には自分のことはどうにかする人たちだから成立しますよね。

ヒロシ

内面が統合されてくると、とにかく「面倒くさいこと」に耐えられなくなってきます。他者に合わせることも無理。「自分」(自我)がハッキリしてきますから、他者と繋がれるポイントが限定されてくるのです。

だから、基本「ソロ(一人)」で生きることとなる

結局、自分一人で立ててOKという人とでないと、もう一緒に過ごしたいと思わないです。

一人ではいられない人は、どうしても依存する対象を必要としてしまう。そういうベタベタした癒着関係は重すぎて、ヒロシさんが仰るように、「基本的には自分のことは自分でどうにかできる人」たちを選んで付き合うようになります。

仕事も同じです。「自分でなんとかする」腹が括れている人のサポートは快適にできます。でも、「私は大丈夫でしょうか?一人ではとうてい生きていけません」という人のサポートは重すぎて無理。面倒くさいなぁと感じるので、引き受けないようになりました。

何かあったときに「頼る」ことは問題ないですよ。でも「依存」は違う。

パートナーシップに関しても、同じことが言えます。

「一人で立てる者同士」としてしかパートナーになりたいとは思わないです。お互いに足りないモノを補い合うようにして依存し合いながら、相手がいなければ生きていけないような関係はもう無理。


人生を「しなやかに自立的に生きる」とは、自分の自然でありのままの姿を否定せず受け入れて、そのときそのときの自分に正直に生きていくということです。

無理しない。流れに逆らわない。自分を押し殺して他者に合わせない。合う部分だけで付き合う。一人でいることを厭わない自分になる。

結局、自分自身が自分の最大かつ最善のパートナーのなれたとき、人生は自然と進み始めると最近感じています。

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