「自分軸で生きる」と盛んに言われますが、それって具体的には一体どんなことを指すのでしょうか。
そういう言葉が「流行っている」から、意味を理解せず何となく「自分軸」と言っている人が多いように感じています。
この記事では、具体的な例を挙げながら「自分軸で生きる」とはどういうことを指すのかを解説していきます。
他人軸とは
先月イギリスで開催されたCOP26に際して、環境活動家のスウェーデン人女性グレタちゃんから強い批判が出たとの報道がありました。
こうした動きに対して、日本の著名人たちがコメントを出し合ったニュースを読みました。ニュースの中で芸能人A子さんがこんな趣旨のことを言っていました。
「でも、(環境問題に関して)自分はどこまでやればいいのか、という基準が分からないこともあると思う。私は普段、お洋服を作る仕事もしているけれど、作ること自体が罪なんじゃないかな、と感じてしまうこともある」
これが「他人軸」で生きているときに出てくる発言なんです。
「自分軸で生きる」とは、自分以外の誰かや何かに「基準」を求めるのではなく、あらゆるの事柄の答えを「自分の中」に持つ生き方のことを指します。
答えを外側ではなく自分の中に探すこと
すべての人に当てはまる「基準」なんてもともとありません。服や物との関わり方も、人によってまるで違うはずです。
「一体どこまでやればいい?」と自分以外の誰かや何かに基準を求めるのではなく、「自分はこの問題について一体どう考えていて、どういうスタンスを取っているのだろう?」と自問自答する必要があるのです。
A子さんの場合は少なくともこういう自問が必要でしょう:
- 自分はなぜ服を作るのか
- 服を作る際に一番大切にしたいことは何か
- それは「地球温暖化防止」と相性が良いことか
- そうでなければ、自分なりに歩み寄れる部分はあるのか
- 自分にできることは何か、できないことは何か
- 自分はどこまでならやれるのか、またやりたいと思うのか
A子さんだけでなく、私たち全員が自問自答すべき問題ですよね。
このような自問自答を通して出てきた答えを実行して生きることが、「自分軸で生きる」っていうことなんです。
私の軸
参考までに、私の軸を少し書いておきます。
私自身はミニマリストにはなれません。できるだけ所有物を増やさないよう心掛けてはいても、「必要最低限のもの」だけでは楽しみがないからです。
落ち着く先をまだ決めていないので、私は引っ越しの時に大きな問題となるような重い物を所有したくありません。だから、今は時として、軽くて壊れないプラスチック製品を使うことを選択しています。
ただ、プラスチック製品は環境に負担がかかることは理解しているので、簡単に増やしたり捨てたりはしないように心がけている。それが今の私にできることだからです。いつか落ち着く先が決まれば、その時はプラスチック製品を使うのを止めて、素焼きの鉢や陶器を使おうと思っています。
自分としっかりと向き合うこと

何事も、無理をして続けることはできません。自分をよく知り、何が自分にとってストレスになるのか、無理せずに実行できることは何かを、時間をかけて丁寧に解き明かしていく必要があります。
自分軸で生きるとは、丁寧に生きるということでもあります。
何となくボーっと生きていれば、他者に振り回されたり周りに流された生き方にならざるを得ません。コロナのワクチンについても、「自分は打ちたいのか打ちたくないのか」で決める。「他の人が打っているから私も」とか、「あの人は打たないみたいだから私も」とか、「打たないと変な目で見られるから打つ」というのが他人軸です。
記事の冒頭でご紹介したように、グレタちゃんのようなパワフルな人が出て来てプロパガンダをぶち上げれば、良くも悪くもそれに影響を受けて右往左往してしまう。
グレタちゃんたちが問題提起していることに対して、私は自分なりの向き合いを続けています。
- 自分には何ができて何はできないのか
- 今まではどうで、これからはどうするのか
- 今やってもいいと思え、またできることは何か
こういうことの答えは人によって全く違うはずです。
だから、他人のことは心配しないこと。とにかく「自分」を軸に据えて何事も考えて実行すること。
自分はどうしたいのか。
それを実行して生きることが自分軸で生きるということです。
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