【保存版】「自我」と「エゴ」の違い

「自我」と「エゴ」は似ていて紛らわしいかもしれませんが、別のものです。

「自我」とは「これが私」という意識のことで、人が生きていく上で必要な健全な意識です。

一方エゴとは、簡単に言えば私たちを「心理的痛み」から守っている防衛機能のことです。

もともとは、幼少期に経験した様々な心の傷の痛みから私たちを守るために派生したサブパーソナリティの一つです。

しかしもっと大きな役割として、私たちがこの3D世界をつつがなく生きていけるためのアヴァター人格としての役割も持っています。

この記事では、恐らく多くの人が疑問に思っているであろう「自我」と「エゴ」の違いを、できるだけわかりやすく解説していきたいと思います。

自我とは「自分はこういう人」という意識

「自我」とは簡単に言えば「これが私」という意識、自分と他者をしっかりと区別できる意識のことです。

私たち人間が生きていく上で、自我を健全に発達させることは必要不可欠です。

生まれたばかりの人間にはまだ自我がありません。

新生児は自分と母親との間に意識的な境界線を持たず、一体化した状態で生きています。

いわゆる「いやいや期」が自我の芽生えの時期です。

今まで一体化していた母親に対して「いや!」と言って意志を示すことで、「自分」の存在を確認していきます

思春期に入ると親と自分は「別の存在」であるという意識がより強く芽生え始め、今まで親のいいなりだった自分を否定し、親に対して反発することで「精神的な自立」を目指します。

自分は・・・

  • これが好き
  • これが嫌い
  • こうしたい
  • これはしたくない
  • こう感じる(快・不快)
  • これが大事
  • それはどうでもいい

こうしたことすべてが「健全な自我」です。

日本ではこういうことを明言することを「わがまま」とか「我が強い」といって「好ましくないこと」と捉えますが、決してそうではありません。

健全な自我をしっかり育くむことは、他者との間に健全な境界線を引くために必要不可欠なことです。

先進諸国においては、子供は自分の好き嫌いを持つことや、親とまったく異なる価値観や意見を持つことも許されているばかりか当然のこととみなされています。

しかし日本においては、反抗期がうまく行かず(自分が親と別な存在であることを尊重されないため)、いつまでも心理的に親や家族から自立できない人が大勢いらっしゃいます。

親からの自立がうまくいかないと、他者と精神的に癒着・依存しながら、未発達で脆弱な自我を抱えながら生きていくこととなります。

このことは人生の様々な局面において悪影響を及ぼします。

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エゴは防衛機能

エゴとは、「自分を痛みから守るために分裂した人格」のことです。

私たちがまだ幼かった頃、様々な要因(心無い親の言葉やその他)によって心に傷を負い、その痛みが大きすぎたため、エゴが介入して痛みを抑圧し始めたことが始まりです。

エゴは自分の一部であり、その動機は「愛」です。

「痛みを感じなくても済むために自分を守ろうとする防衛機能」がエゴです。

恋愛において自分が傷つきそうな局面にぶち当たると、傷つく前に心のシャッターを下ろして殻に閉じこもってしまう男性は多いですが、これも「回避」と呼ばれるエゴの防衛機能の一つです。

わかりやすいように例を出してみます。

「他者の問題を放っておけない」というのは、共依存の症状の一つです。

「実はとても困っているので助けてもらえないだろうか」と相談を持ち掛けられたわけでもないのに、困っている人をどうしても放っておけずについ助けてしまう。

自分がしゃしゃり出て行って他者の問題を解決してあげてしまう。

幼い頃より他者のお世話をしたり、問題を解決してあげることによって自分の存在意義や価値を確認してきたからこそ身についてしまった無意識のパターンです。

この事実をまっすぐに見て受け止められる人は自我がしっかりとある人です。

しかし多くの方は、「私(僕)は、優しすぎるのかもしれない」という言い方をして、事実をありのままに見ようとはしません。

これは「優しさ」とは一切関係ない、愛着障害の問題なのです。

しかしそれをありのままに見ることには大きな痛みが伴うので、「優しすぎるのだ」という解釈に置き換えることで自らの問題行動を正当化する。

これがエゴの機能です。

つまり、健全な自我がしっかりと発達している人は自分の痛みを受け止められるだけの強さがあり、自我が未発達で脆弱な人ほど自己防衛機能(エゴ)が強いということです。

機能的かつ実務的なエゴの役割

エゴにはまた、機能的で実務的な役割もあります。

会社で働いたり、公共料金の支払いを行ったり、不動産会社と交渉したり、着替えたり、今日はどこへ行って何をするのか決めるのも、すべてエゴが担っている仕事です。

もしもエゴがまったくなければ、私たちはこの世を安全かつ快適に生きていくことができなくなります。

今日何を食べるか、何を着るかすらもわからなくなってしまう。

時計も読めないし、来週の予定を立てることすらできなくなってしまいます。

エゴは私たちがこの世で暮らす際になければならない存在ですが、あまりにも強くなりすぎると様々な不具合や機能不全として現れます。

素直になれなかったり、大切なことに聞く耳を持てなかったり、自分の悪癖や悪行を正当化して反省できなかたったり、自分の痛みや弱さを守るために大切な人たちを傷つけてしまったり。

また、エゴが望んでいること(モテるようになること、愛される女子になること、仕事で出世すること、天職を見つけること、運命の人と出会うことなどなど)が、本当の自分の望みや願いではありません。

自我が脆弱な人はエゴが優位になる

「脆弱な自我」とは、脆くて傷つきやすい自分のことです。

その自分を守るために、エゴ(防衛機能)を発達させます。

少し前にネットでこんな記事を読みました。

とある学習院OGが書いた記事でしたが、「私たち学習院OB・OGたちは、長いこと秋篠宮家に傷つけられてきました」と書かれていました。

つまり、皇室の中で秋篠宮家だけは子供たちを学習院に通わせず他校を選んで進学していることに関し、学習院OG・OBである自分たちが「否定された」と捉えていらっしゃるわけです。

これが「自我が脆弱な人が持つエゴ(防衛機能)」です。

自我が脆弱な人は「これが自分」という意識がハッキリしませんから、出身校や出身地、はたまた「日本人」というような帰属意識の中に自分のアイデンティティを見出そうとする傾向があります。

すると、他者が自分とは違う価値観で違う選択をすることを冷静に受け止めて尊重することができません。

なぜなら、「自分」と「出身地」や「出身校」とが一体化してしまっているために、他者が他校を選んだとなれば、まるで自分の価値が否定されたように感じてしまうからです。

自我が健全な人は、出身地や出身校を自分のアイデンティティにしたりはしません。

ですから他者の価値観や選択が自分と違っていても、痛みを感じたりはしません。

そのため自然と他者の選択を尊重できるわけです。

健全な自我を育んでエゴを統合する

エゴを統合するためには、何はともあれまずはしっかりと健全な自我を育むことが先決です。

「自分は一体どういう価値観や哲学を持った人間なのか」という部分を明確化し、それを貫いて生きる実経験を毎日の生活の中で積み上げていくことです。

自分は・・・

  • これが好き
  • これが嫌い
  • こうしたい
  • これはしたくない
  • こう感じる(快・不快)
  • これが大事
  • それはどうでもいい

こうしたことを逐一明確化しノートに書き出して「意識化」していきましょう。

自分が好きなことや「快」を感じることを書き出すのと同時に、自分が嫌いなことや苦手なこと、「不快」を感じることも書き出していきます。

そして、一体その対象や出来事の「どんな要素」が好きなのか(嫌いなのか)を見極めることで、「自分はこういう人」という軸を創り上げていくのです。

その際に、親や世間から刷り込まれた「べきべき」「ねばならない」という規範意識はすべて手放し、「自分はこうしたい」という判断基準を明確にすることです。

それが健全な自我の育成へと繋がっていきます。

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