近年よく言われる「繋がり」や「絆」、それから「寄り添い」という言葉。昨年からのコロナ禍でより盛んに言われるようになったと感じています。
しかし、私は日本の人たちはこれらの概念を大きく誤解していると感じることが多いです。
それは一体どういうことかを、この記事で詳述していきたいと思います。
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「繋がり」や「絆」 ではなくて「融合」
日本でよく言われる「繋がり」や「絆」は、本当の意味での「繋がり」や「絆」ではなく、「融合」であると私は考えています。
「融合」とは読んで字のごとく、自分と他者との境界線がない状態で両者が融け合ってしまっている状態を指します。
イメージでいうと下の図のようです。

日本でよく言われる「繋がり」や「絆」は絡み合いや依存、あるいは癒着です。それを「繋がり」や「絆」であると思っている。
本当の意味での「繋がり」や「絆」は人間にとって必要不可欠なものですが、ベタベタとした癒着関係や依存のし合いは、人間を停滞させるだけです。毒にこそなれプラスに作用することはありません。
詳細は以下の記事で述べています。
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「個」が自立した上での繋がり
一方、本来の「 繋がり」や「絆」とは、自我がしっかりと発達した「個」と「個」が、適度な距離感を保ちつつ互いに自立した上で、一定の条件下で繋がることを意味します。
つまり、成熟した大人として節度を弁えた付き合い方ができるということです。
イメージで言えば下の図のようです。

必要な時に協力やサポートを仰げるだけの信頼関係がありつつも、依存しないだけの自立性もある。他者の問題や人生に首をつっこんだり口を挟んだりすることなく、また他者からもそうさせないだけの分別を持つ。相手や自分には限界があることを弁えつつ、相手に「〇〇してもらいたい」という暗黙の期待を持つことを手放している状態。
相手の人生を応援し見守り、相手も自分の人生を応援し見守ってくれていると知っている。自分の課題は自分でこなす。相手の課題は相手に任せる。
それが本当の意味での「繋がり」や「絆」というものです。
私は長いこと「境界線」についての記事やE-Bookを発信し続けて来ましたが、日本の人たちの「境界線」の問題に対する関心の低さを目の当たりにするにつけ暗澹たる気分になります。
クライアントの皆さんも「境界線の問題」は完全に他人事(自分も取り組まなくちゃとは思うけど、まだまだで・・・という感じ)で、真剣にこの課題に取り組もうという方はまずいらっしゃいませんね。
しかし、アセンションのプロセスでは「境界線の課題」克服は必須です。他人事や「いつか」ではなく、今ここで取り組む必要があることです。「真剣に「境界線を引けるようになる!」と決意できた方をサポートします。ご希望の方は個別セッションへいらしてください。

1973年長野県生まれ。20年以上に渡り海外5か国に暮し働きながら、心理学、宗教学、人智学、形而上学(メタフィジカル)などを学び実践してきた経験を持つ。現在は国内外のアセンションのプロセスにある人たちの覚醒の支援・サポートを行っている。
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