普段私たちが行うコミュニケーションには、様々なレベル(深度)があります。
一番表面的な部分では社交辞令や天気・天候の話など、当たり障りのないコミュニケーション。相手との関係性や親密度によってコミュニケーションの深さが違ってくるわけです。
この記事では、相手が自分にとって大切な存在であるという前提のもとに、自分と相手両方を大切にしつつ、かつ自分の「真心」を相手に伝えるコミュニケーションについて書いていきたいと思います。
これはコミュニケーション・レベルで言えば一番深いレベルのもので、すべての人に対して行えるものではありません。もしも関わり合うすべての人に対してこのレベルでコミュニケーションを行おうと求めれば、心が疲弊してやりきれなくなってしまうでしょう。
あくまでも、自分にとって本当に大切だと思える、数少ない限られた人を対象として行う「親密度」の高いコミュニケーションです。
コミュニケーションに悩むときと言えば、ほとんどの場合において、相手が何かしらして欲しくないことをしたことに対して、あるいは自分が感じている相手に対する不満について、伝えなくてはいけない場面だと思います。
専門用語では「アサーション」と言います。
境界線の問題ですが、相手が自分にとってそれほど大切な相手でなければ話は簡単なのです。どんな言い方をしたところで、うまく伝わらなければ相手との関係を解消して疎遠になってしまえば済む話ですから。
ですが相手が自分にとって大切な人で、こらからも関係を維持していきたいという希望があればこそ、自分と相手を等しく大切にする、そして自分の「真心」を表現できるようなコミュニケーションが必要であると私は考えています。
相手に嫌われたくないあまり迎合したり我慢したりしていたり、逆に相手に自分の思い通りに振舞ってもらいたいという支配・コントロール欲があったりすると、人間関係は苦痛に満ちたものになってしまいます。
表面的なレベル

最初に、表層部のコミュニケーションについて書きます。
例えば、ごく親しい相手が自分に断りもなく大切にしている物を勝手に借りて使っていたケースを想定します。
相手にとっては何気ない行動だったかもしれないけれど、自分にとっては大事なことだという場合。
一番表層にある感情だけを表現したコミュニケーションでは:
- どうして勝手に私の物を使うの?
- 使うならちゃんと断ってからにして
など。
少なからず怒りと責めのエネルギーが混じったものになりがちです。
この部分だけで相手とコミュニケーションをとっていると、互いの攻防が繰り広げられ、いきおい喧嘩になりがちです。喧嘩は必ずしも悪いものではありませんが、互いに責めあうだけの喧嘩は得るものがありません。
相手から自分の境界線を侵害されているので「怒り」を感じることは正当な反応ですが、その怒りはあくまでも表面的な感情です。その感情の下に自分の「本当の気持ち」や「ニーズ」が隠れています。
相手と気持ちが通じ合うコミュニケーションを持つためには、表層部分の下にある「本当の気持ち」や「ニーズ」までしっかりと表現できているる必要があります。
本当の気持ちやニーズ

自分が大切にしているものを断りもなく勝手に使われたとき、そこには満たされなかったニーズや自分の本当の気持ちが必ずあります。
断りがなくて悲しい(感情) → 一言聞いて欲しかった(ニーズ) → 自分が尊重されていないと感じた(感じ方) → 悲しかった(感情) → 私を尊重して欲しかった(ニーズ) → 私は尊重されたい(ニーズ)
境界線が侵害されたとき、私たち人間が感じる感情は「悲しみ」、一番大きなニーズは「私は尊重されたい」だと私は考えています。少なくとも、私自身はその二つが主です。
尊重されたいという基本的欲求が満たされないために不満が生じる、それ故に相手に対して責めを向けてしまうわけです。
「相手を責めてはいけない」と自分に言い聞かせているだけでは不満は解決できません。自分の「悲しみ」をしっかりと受け止めて感じ、満たされていないニーズがあることを認め、どうしたらそれを満たせるのかを考えたコミュニケーションを取る必要があるのです。
そのレベルのコミュニケーションを取るとすれば:
- 黙って私物を使われると悲しくなります。私の物を使いたいときには、一言聞いてくれると、尊重されていると感じられて嬉しい
となるでしょう。
このコミュニケーションでは、自分の感情、自分が求めているもの(一言聞いて欲しい)と満たしたいニーズ(尊重されたい)のすべてが表現できているので、深いレベルで自分の内面を開示したことになります。
真心を表現する

真心とは、自分の本当の心、つまり「これぞ私の真実」と言える嘘偽りのない本当の気持ちのことです。
真実とは、決して変えることのできないもののことを指します。
上の例に照らし合わせて言えば、「尊重されたい」はかなり深いレベルにある基本的欲求ですが、この欲求を「なぜ満たしたいのか」という根源的な問いがあります。
さらに深いレベルで自己探求をしていくと、私の場合、この問いに対する答えはこうなのです:
尊重されていれば、安心してあなたと繋がれるから。
つまり、一番心の奥底で、私は相手と「繋がりたい」という欲求を持っているわけです。これが決して変えることのできない私の真実の部分で、私の真心であると言えます。
「真心」を表現するコミュニケーションでは:
私はあなたと親密になりたいし、安心して付き合いたいと思っているので、気持ちを尊重してもらえると嬉しいです。
となります。
これは自分の心の最奥を開示した最も深いレベルのコミュニケーションであると言えます。
シンプルな自己開示
しかし、相当しっかりと自分と繋がれている人でない限り、ここまでのレベルで自分の本心を赤裸々に開示できるとは限りません。
また、インナーチャイルドがまだしっかりと癒えていないと、様々な傷や痛みに圧倒されて、コミュニケーションが苦痛に満ちたものとなりがちです。
そんなときにできる一番シンプルなコミュニケーションは、自分が感じたことをありのままに表現するというものです。
- 断りなく物を使われて悲しかった
- 尊重されていると感じることができずに悲しかった
このタイプの自己開示の大きな特徴は、主語を常に「私」にし、「自分がどう感じたか」というありのままの事実だけを淡々と言葉にして表現することです。
主語が「あなた」になってしまうと、相手はどうしても責められていると感じてしまうので、防衛機能が入ってきてしまって気持ちのやりとりが難しくなってしまいます。
主語を「私」にしてシンプルに事実だけを開示するコミュニケーションでは、相手を責めたりなじったりするエネルギーが混じりません。
この手の自己開示をしたときに、もしも相手が受け取れないのであれば、それは相手の問題です。
支配欲・コントロール欲を手放す
親密なコミュニケーションにおいてもっともやってはならないことは、相手を自分の思い通りにしようという支配・コントロールです。
とくに女性は相手に言動に刺激されて不安になりがちで、安心したいがために、相手に対して「こうしてもらいたい」「あぁしてもらいたい」という期待を沢山持ってしまいがちです。
「あぁ言って欲しい「「こう言って欲しい」「言わなくても察して欲しい」というのも相手を思い通りに動かしたいという支配・コントロールです。
支配・コントロールに根差したコミュニケーションを行っているうちは、相手は常にプレッシャーを感じていますから、お互いの気持ちが通い合うことは難しいです。
相手を自分の思い通りに動かしたいという欲求を完全に手放した上で、自分の中の真実を淡々と開示するコミュニケーションにおいては、自分と相手は完全に尊重され、安全なスペースの中で自己表現することが許されます。
「安全なスペース」とは、お互いにお互いをジャッジしたり責めたり攻撃したりすることなく、ただ気持ちのやりとりが自由にできる場という意味です。
これは無条件の愛に根差した女性性が担う力で、自分のことをある程度丸ごと受け入れられている人でなければ発揮できない力です。通常は女性が無条件の愛を発揮して自分も相手もまるごと包み込むような包容力を見せることで、男性が真っすぐで力強い男らしさを表現できるようになります。
ただし気を付けなければならないのは、女性が自分をしっかりと癒せていないと、自己犠牲をしてまで男性の問題や欠点を受け入れてしまうという点です。これは共依存です。
女性は自分の癒しにきっちりと取り組み、自己価値感と自己肯定感を育て、自尊心をしっかりと育んだ上で境界線を引く訓練を積まなくてはなりません。
「あなたのことは愛しているけれど、その言動は容認できません」とハッキリとかつ「優しく」伝えられるコミュニケーションが必要となります。
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