愛する能力が高い人と低い人がいます。
内面が成熟しきっておらずチャイルドな部分が多ければ多いほど、人は愛する能力を発揮することができません。自分が相手から与えてもらうことばかりを願ってしまい、自分が相手に愛を与えることができないからです。
愛とは、相手に対する理解や思いやり、優しさなどを指します。
相手は限界や弱点や傷を持った人間であることを弁え、寛容な心で受け入れ、許し、見守る姿勢のこです。相手の能力以上のことを求めず、相手にできないことがあってもそれを受け入れられること。
そうしたことすべてが愛です。
ですが、自分の中に癒されていない愛情飢餓があればあるほど、相手に愛を求めずにはいられません。
- 私の気持ちわかって欲しい
- 私を理解して欲しい
- 私を気にかけて欲しい
- 私を受け入れて欲しい
こうした欲求は悪いものではありませんが、他者に対して求めている以上、それは依存なのです。
依存がある状態で、相手を愛することはとうていできません。たとえ人の親であっても、自分の子供を愛することができない親がどれほど多いことか!
本来であれば愛を与える立場にある親でも、自分の痛みとちゃんと向き合っていないと、無意識のうちに子供に愛を要求してしまうのです。
このような親は「愛する能力」が低いと言えます。
それどころか、日本における8割方の親は愛する能力がそれほど高くないと私は実感として感じています。それは彼らが半人前だからというよりも、自分の痛みや傷と真正面から向き合って癒すチャンスを逃してきてしまっているからだと思います。
私の友人には、母親から無条件の愛を受けて愛情豊かに育った人たちもいます。ほとんどが北欧か北米の人たちです。日本にはそういう人はあまりいない。
私自身、愛する能力があまり高くない親を持ち、「どうして愛してくれないの!」と石からミルクを絞り取ろうとするような苦しみを長らく抱えていました。
自分の癒しに取り組むうちに、親に対する怒りや恨みが沢山出て来て、そのエネルギーを解放するのに数年を要しました。それからようやくその下に入っていた「大好きだった親に思い通りに愛されなかった悲しみや嘆き」が出て来て、その感情を弔うのにも時間をかけました。
今の私は、自分の親が普通の人間であることを理解して弁えています。彼らもまた、限界や弱点をもった人間なのです。彼らには彼らの学びがあり、それぞれがそれぞれの道を歩いている。
そんな両親を選んで生まれてきた私は、無条件に愛する能力をたっぷりと持った人です。それを自分の中に見出し外の世界へ分けてあげられるようになることが、今回の人生で私が取り組むミッションの一つです。
けれど、その無条件の愛も、誰彼構わず発揮できるわけではありません。
むしろ与える相手を相当選ばないと、自分自身が枯渇してしまうことを学んできました。相手が自分の愛を受け取れる人であるかどうかも、しっかりと見極めるようになっていきました。それから、相手から愛や同等のエネルギーをちゃんと受け取れるかどうかも取り組む課題の一つです。
私の愛する能力は決して低くはないけれど、過信して与えすぎてはならない。常に自分を一番先に労わること。自分の中に怒りや恨みがこみあげてきたときは、自分が他者に与えすぎているサインです。
自分や他者の愛する能力を正しく見極め、それに沿った生き方をすることは、幸せに生きるためにどうしても必要なことです。
- 相手の愛する能力はどれくらいか
- 自分の愛する能力はどれくらいか
- 自分はどんな愛し方をする人間なのか
- 自分は相手に何をどう与えているか
- 自分は愛を受け取れているか
- 相手はどのように愛を与える人なのか
一か月のうち一度でもゆっくりと自分と向き合う時間を作って、こうした質問に答えてみると自分という人がもう少しわかるようになってきます。
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