「縁を切る」ことは愛である理由

皆さんは、誰かとの縁を切ったこと、または切られたことがおありでしょうか?

誰しも生きていれば、それなりにそのような出来事は経験してくるものです。かく言う私も、誰かとの縁を切ったことも、また切られたこともあります。

過去数年自分の心の動きと真剣に向き合ってきた結果、私は「縁を切る」という行為がどうにも「愛に根差した」行為であるように思えてならなくなってきたのです。

というか、本当にそうだと思っています。

この記事では、「縁を切る」という行為がなぜ愛なのかについて、書いていきたいと思います。

現代における「縁切り」とは

まだ電話と手紙しかなかった昭和の時代と違い、現代における人間関係の質と深度はかなり希薄になってきていると感じます。

昔にくらべて誰かとオンラインで出会って気軽に繋がれる機会が増え、それゆえに相手や自分に対する不信感と疑心暗鬼といったストレスも増えた。

現代における「縁切り」とは、SNS の繋がりを削除したり、ラインを未読スルーしたりブロック削除したり、自分の連絡先を一切リセットしたりすることを指すでしょう。

つまり、相手に「もうあなたと関わりたくありません」と明確な意志表示することを「縁を切る」という訳です。

どんな人間関係にも賞味期限があって、関わり合っていることが双方にとってポジティブな影響を及ぼしていないと判断した時点、あるいはもう潮時だと感じていたり、なんとなく最近相手に会う気がしないとか、気が重いと感じることが増えれば、それが相手との関係性を変えたくなるタイミングかもしれません。

環境の変化や時の流れで自然消滅する人間関係も多い中、明らかな意志をもって能動的に相手との関わりと繋がり(連絡手段)を断ち切ることが「縁切り」であると言えます。

縁を切りたいときには必ず理由がある

誰かとの「縁を切る」と決めて行動するとき、そこには必ず理由があります。

何の理由もなく、何も考えずに「縁を切る」人はあまりいないでしょう。まだ若くて自己否定や自己嫌悪が強い人なら、自分の痛みから逃げるためにそういう行為をする人もいるかもしれませんが。

でもそれ以外のある程度成熟している人が誰と縁を切ろうと思って実行するからには、そこにはそれ相応の理由が必ずあるはずです。

その理由が、すなわち愛なんですよね。

私の場合、「縁を切りたい」と思うとき、相手に対して嫌悪感を抱いていたり「関わり合いになりたくない」と思っているときと、そうではなく、むしろ相手を大切だと思っていて好意を抱いているときとがあります

前者は説明するまでもないと思いますが、その相手と人間関係を持つことで自分に被害があったり嫌悪感があったりするケースです。このような相手とは繋がっているポジティブな理由が何もないため、縁を切ることはお互いのためになります。まさしく愛です。

後者は少しわかりづらいかもしれませんが、相手が自分にとって大切な存在であればあるほど、縁を切らずにはいられない、むしろやむを得ず縁を切るということが、私には何度かありました。

何かしらの不満や問題のためにストレスを溜め続けており、相手との話し合いでその問題の解決が見られない、改善が見られないとき、相手や自分を嫌いになる前に距離を置きたい。

もしくは、少し離れないと自分が心労でつぶれてしまうというとき。

相手に執着してしまって離れられない、離れるためには思い切った縁切りをしないと無理というケースです

これも一種の愛だと、私は考えています。

自分に対する愛、そして大きな意味では相手に対する愛です。

私には、親族の中にも縁を切っている人たちがいます。血縁ならば縁は切れないとか、血は水よりも濃いといいますが、人間関係やカルマの関係は決して生易しいものではありません。

むしろ、このまま近い距離に居ればお互いに傷つけあうだけでとても危険だというケースがままあるのです。

わかりやすい例を出せば過干渉や支配的な親とそれから離れられない子供のケース。最悪な事態になる前に縁を切って離れることが、双方にとって最善の策であることはよくあることです。

これは、愛だと私は思っています。

好きな相手から愛されようとする前に、自分で自分を愛する決意をする

私たちは、積極的に自分の「幸せ」に責任を持つ義務があります。誰かとの関係が自分にとって多大なストレスとなっていたり、疲労の原因となっているのなら、問題を解決して関係を改善するか、もしくは相手との関係を解消して自分と相手を守る必要があります。

自分にとって本意ではない人間関係にズルズルと居続けたい気持ちは、私自身本当によくわかっています。しかし、相手への依存と執着で腰砕けになって関係にしがみ付けば付くほど、自分の疲弊は増していきます。

いずれかの段階で人間関係の断捨離を敢行し、心理的安全を取り戻さなくてはなりません。それができるのは、自分しかいないのです。

自分をぞんざいに扱う人にしがみついていたり、不毛な関係に甘んじて我慢していたり、問題のある人のお世話を止められないのは、自分の痛みが癒えていないからです。しっかりとインナーチャイルドを癒して自分を労わり、自分の価値を認め、大切にし、なすべきことをなすだけの勇気を奮い起こさなくてはなりません。

断捨離はいつでも痛みを伴います。何の痛みもなくできることなら、これほど簡単なことはないのです。

相手から愛されることよりも、自分が自分を愛することを選んだ時に運命は好転するのです。誰かから愛されたいために相手にしがみ付く手を放し、自分を抱きとめることができるかどうか。

できる人は人間関係の断捨離もできます。

百瀬 章子 

1973年長野県生まれ。20年以上に渡り海外5か国に暮し働きながら、心理学、宗教学、人智学、形而上学(メタフィジカル)などを学び実践してきた経験を持つ。現在は国内外のアセンションのプロセスにある人たちの覚醒の支援・サポートを行っている。​

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1973年長野県生まれ。約20年に渡り5か国に暮らしながら心理学、形而上学、精神世界を学び実践してきた。2018年に自身の経験をシェアしたブログを開設。現在は国内外のアセンションのプロセスにある人たち、自分らしく生きたいオールドソウルたちの個性化のプロセスをサポートしている。

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