以前の私は自分の自由意志について確たる意識を持っていなかったために、他者の自由意志を尊重することについてもまったく無意識で無知でした。
私は過去数年の間に、「人間の自由意志」について多くのことを学んできました。
私たち人間には「自由意志」があります。
それは他者が絶対に侵すことのできない神聖な領域です。
たとえ宇宙であっても、人間の「自由意志」を侵すことはできません。それは人間に与えられた最高の尊厳であり、また最大の責任でもあるのです。
自由意志とは

自由意志とは、簡単に言ってしまえば「何をしたくて、何をしたくないか」ということです。
これにおいて「どうすべきか」ということはもともと存在していません。
規範意識は不要
日本の人たちは「正しいこと」に拘る傾向が強いため、「どうすべきか」ということを常に考えているように見えます。
ですが、物事に「どうすべきか」ということは最初からなく、あるのはただ「どうしたいか、どうしたくないか」だけなのです。それに従って行動し、その責任はすべて自分が負っていく。
ただそれだけのことです。
しかし日本ではそのような意識が育まれる機会がほとんどなく、子供の頃より「あぁしなさい、こうしなさい、そうするべきでない、どうするべき」というようなことばかりが教えられます。
個人の自主性を育てるような意識や接し方はほとんどなく、「世の中の規範を子供に教える」という意識が強いようです。
これでは人間は自分の自由意志とその責任について学ぶ機会がありません。
相手の自由意志を尊重するとは

例えば、医療サービスを受けるか受けないかということすら、すべて自由意志によるものです。
以前皮膚にマイナーな問題が起こったときに、「これは(手術で)取り除いた方がいいですか?」とドクターに尋ねたことがありました。
その時のドクターの答えは、「取りたいなら取ってあげるよ」でした。
私の意志を完全に尊重した受け答えです。
多くの人は誤解しているかもしれませんが、本当に相手のことを尊重していれば、あぁしなさい、こうしなさい、こうした方がいい、あぁした方がいい、というようなことは容易に口にできるものではありません。
なぜならそこには相手の自由意志を阻害してしまう可能性が常に含まれているからです。何人(なんびと)たりとも相手の自由意志に介入してはならないという意識を明確に持っている人は、自分の発言が相手の意志に及ぼす影響を十分に認識しているものです。
自由意志が明確でない=自分がない

世の中には、風邪を引いた際に病院を受診するかしないかについて、自分では決められない(判断がつけられない)方が多くいらっしゃいます。
簡単に言ってしまえば「自分がない」のです。
医師や看護士や誰か他の人に「〇〇した方が良い」と言ってもらわなければ決められないというのは、自分の中に確固たる「意志(~したい、〇〇する)」が欠落していることを意味します。
こういう人は、幼少期より「自分がどうしたいか」を聞かれたことがなく、常に周りの大人の「どうするべき」に従って生きてきたのです。ですから、自分がどうしたいかを聞かれると思考停止状態に陥ってしまう。
その状態で生きれば「流される」生き方にならざるを得ません。「自分はどうしたいのか」がわからないままに他者の意見に従って生きる選択をしているので、「自分の人生を生きている」という実感はないし、「どうするべきか」ばかり考えているので人生はつまらないものとならざるを得ません。
私たち人間が本当の自由を実感し、また自分らしく生き生きと輝いた生き方ができるためには、「自分はこうしたい」ということを明確に認識してその通りに実行し、その結果に対する責任を自分で負って生きているときだけです。
それが自由意志を遂行するということであり、ここにおいてたとえ宇宙であってもその領域を侵害することはできないのです。
自由意志と責任

例えば、自分の問題や癒しに取り組むことを避け続け、一生逃げ切ろうとするのも自由意志の一つです。
誰かがその選択をしているとき、他者がその意志を侵害することはできません。
そしてそのことの結果は他でもないその人自身が背負っていくこととなります。
自分の問題を見て見ぬフリをして逃げ切ろうとする人は大勢いらっしゃいます。かく言う私もかつてはそうするつもりで生きていたのです。
ですが時代が変わり、自分の問題を放置していれば人生が崩壊することを身を持って知った今では、自分の人生の帳尻を合わせるのは自分以外にいないことを肝に銘じて生きる生き方に変えたのです。
私は完全に自由です。
そしてその責任もすべて私が負っています。
それを完全に理解してからというもの、私は他者の自由意志を尊重することを学びました。
私の身近にいたある種の人たちは、自分たちに問題があることから目を背け続けて逃げ切りたいタイプの人たちでした。
以前はそんな彼らに苛立ちと憤りを感じ、何とかさせようともがいていましたが、今では完全に彼らの意志を尊重しています。
彼らの問題が私に害を及ぼすのであれば、付き合わなければいいだけなのです。
それは彼らの問題と課題であり、私にはどうすることもできないことであると、しっかりと弁えているのです。
私は私の責任がある範疇で、自分の意志を遂行して生きていくだけです。
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