近年日本でもよく聞かれるようになった「共感」という言葉があります。
いつも書くことですが、言葉の定義がしっかりとできていないと思わぬはき違えをしたり、あらぬ方向へ進んでいったりしてしまいます。
この記事では私が感じている「共感」という言葉に対する違和感と、私が考える定義についてできるだけ丁寧に書いていきたいと思います。
よく言われる「共感」は共感ではなくて「同感」

多くのケースにおいて、巷で言われている「共感」とは、本当の意味での「共感」ではなくて「同感」であると、私は考えています。
誰かの気持ちや感じ方を「自分もそう感じる」ということですが、正確に言えばそれは「共感」ではなくて「同感」なのです。
自分の気持ちは自分にしかわからない
ぶっちゃけ私は、自分の気持ちは自分にしかわからないし、他人の気持ちは自分にはわかりようがないと思っています。
誰かの気持ちを「本当にわかり得る」ためには自分も同じ経験を持っている必要があるし、同じ感覚を持っている必要があります。
すべての人と同じ経験や感覚を持つことなど不可能です。だから私は、本当の意味では他者の気持ちはわかり得ないと思っているのです。
私は香港で16年を過ごし、「私の故郷」であるとまで感じていたものの、近年急変した政治的不安のために日本へ帰国することを余儀なくされました。
16年間に培った人生のすべてを手放して、身一つで帰りたくもない日本へ帰らざるを得なかった私の気持ちを、「わかる」人がいるとは思えません。もしもそんなことを言う人がいるのなら、かなりイラっと感じると思います。
同様に、祖国を離れて他国へ移住することを決意した多くの香港の人たちの気持ちは、私にはわかり得ないと思っています。ウクライナの人たちのことも同様です。
その人の経験は純粋にその人のものです。
そして、その人の気持ちも純粋にその人のものです。
だから私は、誰かの気持ちがわかるなどということは、ある意味傲慢で無粋(ぶすい)なことだと思っているのです。
本当の意味での「共感」とは?

しかし、だからといって他者の気持ちに鈍感であっていいということではありません。
「私にはあなたの気持ちはわからないけど、あなたはそう感じているんだね」と、相手の気持ちを否定することなく、ただ受け止めて共にいることが、「共感」という(共にあって感じる)行為であると考えるのです。
私は、「共感」とは「今この瞬間に共にあって感じる」ことであると考えています。
例えば、私は30代の数年間、香港で不妊治療に取り組んでいました。そのときの辛さというのは沢山あったわけですが、ある香港人の知り合いからこんなことを言われたのです。
「不妊治療なさってるんですね。私たちにはわからないご苦労が沢山あることと思います。ご自愛なさってください」
つまりはこれこそが「共感」であると、私は考えるのです。
「あぁ、この人はわかってくれている、他の人たちにはわからない苦労が沢山あって大変だということを」と、そのとき私は思ったのです。
「私にはあなたの辛さはわからない、でも相当のご苦労があるんでしょうね、ご自身を大切にしてください」
こんなに思いやりと優しさを感じる言葉をかけてもらったのは久しぶりだと思ったことを覚えています。
日本で叫ばれる「共感」の闇
ここまで私が考える「共感」について書いてきましたが、最近「共感」について興味深い記事を読みました。
マリエさんの衝撃の告発から1カ月がすぎた。当初はSNSやウェブで取り上げられたものの、すぐに話題にのぼらなくなった。コラムニストの河崎環さんは、その理由の一つとして「日本人には『みんなが共感できる被害者を選ぶ』という、集団主義的な選択指向性がある」と指摘する――。
PRESIDENT Online
日本社会の巷で叫ばれている「共感」は、上で紹介した記事の中にもある通り、ざっくばらんに言ってしまえば「同じ被害者意識を持つ者同士の傷の舐めあい」に過ぎません。
つまり、自分と同じ痛みを共有している者に対しては同情的でそれを「共感」と呼んでいるが、自分と痛みを同じくしない他者に関しては基本無関心ということです。
言うまでもなく、これは本当の意味での「共感」ではありません。
私たちは、世界で起こっている惨状のすべてを自分で経験することはできません。私が抱える痛みと、あなたが抱える痛みはまるで違うでしょう。
けれども、相手も何かしらの痛みを抱え、それに耐えて癒しを必要としているのだという創造力を働かせることはできます。つまりはそれが「共感」に必要な能力なのです。
マリエさんに関する記事の中にも書かれていたように、「どうせ美人でお金持ちのお嬢さんなんだから、そのくらい(枕営業くらい)あってもいいでしょ」という冷たい態度は、嫉妬ややっかみなのです。
自分と共通点を見出せない相手の痛みに対して無関心でいられるということが、現代における最大の闇であると私は考えています。
この記事が、もはやありふれた言葉になってしまった「共感」という事柄について、考えるきっかけとなれば幸いです。
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