無意識で生きている間、私たち人間は、誰しも「社会から受け入れてもらえない」ことを極度に恐れています。
集団の生き物である人間にとって「社会」から受け入れてもらないことは、すなわち「死」を意味するからです。
「社会から受け入れてもらいたい」。
こう感じることは「承認欲求」の一つです。
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文化によって異なる人々の「在り方」
「社会から受け入れてもらえる条件」は、国や文化によって全く異なります。
アメリカでは「自信がない」ことは嫌われます(社会的に受け入れてもらえない)から、人々は躍起になって自信を身に着けて自信満々に振舞おうとします。
イギリスでは「社会的に良い人」であることが受け入れられる条件。
人々は「常にいい人」「礼儀正しい人」のように振る舞うことに腐心します。
日本では「協調性があること」「人として正しくあること」が社会に受け入れられる条件。
人々は「協調性がない」と言われることを極度に恐れ、常に「正しく」振舞おうとします。
無意識に出る制限や固定観念
当サイトでは「オールドソウルテスト」を用意していますが、質問の中に「協調性がある」という項目があるんです。
面白いことに、今までテストを受けていただいている方1000人以上中98%の方はこの項目に「はい」と答えているんですよね。
それを見るにつけ、日本人の潜在意識の中に「協調性がないと言われることへの恐れ」は強烈に焼き付いているんだなぁ、と感じるわけです。
私は(いわゆる日本で言われる)「協調性がある」かどうかと聞かれれば、答えは完全にノーです(笑)。
文化の違いを認める
私が知る限り、フランス人は皆「個」がすごく強いです。
元祖個人主義の国というイメージですが、フランス人が人目を気にしているところを見た事がない。
自分が欲しいものはとことん追求するし、皆さんハッキリと「自分」を持っています。
バリ島在住23年という日本人の方にフランス人の話をしたら。
「いったいどういう教育をしているんだ、フランスは!協調性のかけらもない!」と憤っておいででした。
そこで、
「フランスは文化も価値観もまったく日本とは違う国です。協調性があることが美徳という価値観はそもそもありません。個人主義の国ですから。だから個性を尊重する教育をしています」
と言うと、その方は、たいそう驚いていらっしゃいました。
他の国の文化と比べて「日本の方が正しい」と考えることは、単なる独善に過ぎません。
日本人はとにかく「正しい」ことに拘る民族ですから、必然的にそういう発想になるんだろうと思います。
でも、それは所詮日本の中でしか通用しないことです。
自分らしく生きたいなら「在り方」を変える
私もかつてはどっぷりと日本人の独善に浸かっていました。
でも、いろんな国を渡り歩いていろんな人たちと親しく交わってくる中で、そういう洗脳は解けていきました。
自分らしく生きたいと思うのなら、自分の在り方に対して意識的になり、自分で在り方を選ばなくてはなりません。
本当は協調性なんてないのに、社会から受け入れてもらいたいがために「協調性があるフリ」をしているうちは、本当の自分を生きることはできません。
「協調性?そんなものありませんけど、何か?」
と言えるくらいでなければ、本当の自分は出てきようがないんです。
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